「旬の魚」が食えなくなる日は近い | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(今が旬 宝石のようなシンコ(新子)の握り macaroni様のブログから

 

 小学生囲碁教室のお手伝いに再び参加した。

 「65歳の誓い」、我ながら頑張っている。

 今回は三鷹市の「おおさわ学園市立羽沢小学校」。内容は前回の六小と大同小異である。

 

(今回は女の子が多く教室内は比較的落ち着いた雰囲気)

 

 大騒ぎ、ということはなかったがそれでも2時間近くよいこの相手を務めると体内のエネルギーが枯渇するのが分かる。

 それは説明役のAさんの場合さらに顕著なはずで、疲労のせいで酸っぱいものが欲しくなったのだろう、珍しく寿司が食いたい、と言い出した。もちろん私達に否やはない。

 

 さっそく5時から開いているという地元志向の寿司屋へ飛び込んだ。

 

 

(街の小さな寿司屋はどこも経営が大変だろう)

 

 ビールで乾杯し、刺身盛り合わせに、「生ガキ」、「ゲソ焼き」、「栃尾油揚げ」なんてのをツマミに日本酒をグビグビ。

 

 

(生ガキは白ワインより断然日本酒が合う)

 

 だいぶいい心持ちになってきた時分にAさんから、

 「あとはこっちで頼むから。もう注文しちゃダメ」との無慈悲なご命令が。

 私がいつも食いきれないほど注文するので(結局食いきれるのだが)、その調子で寿司屋で悪ノリされると支払いが心配なのである。

 

 鉄火巻とかっぱ巻を人数分頼んだAさんの目が妖しく光った。

 「シンコ、入った?」

 どうやらAさんの目的はこれだったらしい。

 

 「今年はなし。高くて出せないから」

 この時期の寿司屋のスターといえばシンコ(新子 コハダの赤ちゃん)だが、大将曰く、仕入れ値が高過ぎて客に出せない、というのである。

 

 「じゃあ、穴子で」

 Aさんが動揺する隙をついて私がこれまた旬を迎えつつある穴子を注文したのだが(ダメ、と言わなかったところをみるとAさんも好物らしい)、これも高いので出せない、とのこと。

 銀座辺りの高級店ならいざ知らず街の寿司屋では仕入れが高かったからといって簡単に価格転嫁ができるわけではないのだろう。

 

 家に帰ってから調べてみると、シンコや穴子を取り巻く環境は想像以上に厳しい。

 まずマクロの視点では漁業資源そのものの減少がある。そこに外国漁船との競争や魚の「買い負け」

なんかがからんでくる。

 例えば有名なところではサンマだ。

 10年前には22万トンの水揚げがあったものが2021年にはわずか2万トン。国民一人当たり年間1.8キロ食っていた(毎月1尾というところか)ものが180グラムほどに激減したのである。

 スルメイカなんかも同じで、17万トンから3万トンに減ってしまった。

 

 シンコや穴子などのいわゆる沿岸漁業の環境はさらに厳しい。

 資源に加えて働き手そのものも消えつつある。沿岸漁業の主力である10トン未満の漁船数は年々減り続け、今やわずか6万隻だ。

 

 

 しかもこの6万隻の船齢を見ると、おそるべきことに「30年以上」が半分を占めている。ちなみに小型漁船の法定耐用年数は木造が6年、FRP船が5年である。

 そのうえ漁業従事者の半分は60歳以上だから、船長が引退するのが先か船がオシャカになるのが先か、いずれにしても沿岸漁業そのものの灯が消えようとしているのである。

 

 

 (マグロは外国勢に買い負け、海老は沿岸ものは消え外国産はこれまた買い負けの危機)

 

 「旬の魚を楽しむ」なんてのは夢のまた夢、寿司屋といったら新鮮なキュウリと玉子を楽しむ所、なんて

時代がいずれ来そうな気がする。