それは。。
夜勤中に届いた一通のメールが
知らせてくれました。
~ 故郷の祖母は94歳~
私が幼い時。。
苦しかった頃。。
優しく支えてくれた祖母です。
大好きな祖母*°
『〇〇は可愛いなぁ*』
『頑張っているなぁ*』
私が小学5年生の頃に、
母がアルコールのせいで。。
生死の境をさ迷って入院。
半年程、
子供達だけの生活の中。。
私は『母』となって、
慣れない手つきで料理をして*°
『〇〇は料理上手だ!』
と、褒めてくれました*°
━━━━━━━━━━━━━━━
そして弟マコトが逝去した時は。。
『 あの子は優しすぎて…』
『 神様が欲しがったんだな。。』
と、泣きそうな私の横で、
そう呟いた祖母。。
その言葉に救われて、
その後、立ち直れた私でした。。
私が故郷を出てからは、
数回しか会えず、
コロナ禍となってからは、
帰省しても感染予防で会わずにいました。
けれど*°
今年のお正月には元気な声を✧︎
電話で聴かせてくれて、
まだまだ元気でいて欲しいと
願っていました。
(8年程前に家族で帰省して会えました)
『子供だけは大切にするんだよ*』
と、お小遣いを子供達に
渡してくれて*°
私に家族の大切さを*°
いつも教えてくれました*°
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とうとう…おばあちゃんが。。
分かってはいたけれど。。
ぎゅっと胸が、
締め付けられるようでした。。
~せめて会えない祖母に対しての優しさを~
私は介護福祉士で、
高齢者施設に勤務しています。
~この日は夜勤中~
満床の中、
認知症や脳血管障害から来る麻痺の方々、
BPSD(認知症からくる行動・心理症状)
ナースコールも頻回でした。
でも、私は仕事はさほど辛くなく、
ナースコールを頻回に押されたとしても、
その行為に痛みに対する回避や
寂しさ、やるせなさがあるものと考えて
その方の居室へ行き、
少し話をしてコミュニケーションを
取るようにしています。
『眠れないなら明日、〇〇さんの』
『居室でワールドカップの開会式見るよ~』
『アタシ♪応援騒ぐから宜しくね📣』
。。etc
努めて明るく♪
でも…心では泣いて.*・゚
そんな感情が入り交じった夜勤。。
祖母と同じ年代(90代)の
利用者さんもいて、
ある方の居室へ伺い、
排泄交換中に。。
今、寝たきりの祖母にも*°
こうしてあげたいな*°と、
体を拭いて綺麗にして。。
そう思いを重ねて介護して。。
思わず、
『私の祖母も今、危篤状態で。。
私、祖母に会いたいんですよね。。』
と、呟いてしまいました。
すると*°
その方の手が私の頭をポンポンと撫でて、
『ありがとうねぇ』
と言って下さいました*°
その手は優しくて*°
温かくて*°
私は居室を出てから、
静かに泣いてしまいました。。
(祖母が傍に居るのかも*°)
見てくれているならば、
祖母に対して届ける優しさを*°
~今、目の前の人たちへ~
そう思い夜勤を一人で乗り切りました🍀
こんな日が来ることは、
分かっていましたが。。
祖母なら*°
今の私のお仕事を、
励ましてくれるはず*°
会う度に優しく撫でてくれた
祖母の手のように*°
私の手もそうある様に*°
頑張ります*°
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ここまでお読み頂き、
ありがとうございました🩰
皆様へ感謝🌈