いつも拙いblogをお読み頂き
ありがとうございます*°
あーるけーです🩰
この回顧録は*°
『マコトとあーるけーの回顧録*°』から、
幼少期の実父との記憶『満天の星空 』
そして…私が4歳で別れてから34年後の父の死。。
貧困の中、母が生きることが辛くて選んだ道。
母の内縁相手が私達を苦しめた話。。
そして…21年前の2歳下の弟マコトの死。。
を190編書き綴りました。
『回顧録のその先へ*° 』と繋がる。。
これから書く回顧録は存命している母の
アルコール依存についてと…私の反発や葛藤。
それでも生きていく兄弟との日々。。
そして世間の厳しさに立ち向かう話となります。
その始まりは25年程前の『ある事件』をきっかけ
に回顧していきます。(内容は回顧録のその先へ0に)
ドキュメンタリーです🩰
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故郷から*°
30数年ぶりに、
お年玉が届きました🎁
私の息子達にでした*°
『昨年の敬老の日に花を贈りました❁*.゚』
『11月帰省した時に叔父が私に持っていきなさいと*』
故郷の祖母からでした*°
息子たちから見れば曾祖母です。
有難くて*ˊᵕˋ*
電話をしました📞
『おばあちゃん👵♡
明けましておめでとうございます。』
『(あーるけー)に会えるまで、
元気でいねばなぁ*°』
おかげさまで祖母は耳こそ
遠くなりましたが、
認知症にならずに元気です🩰
御歳93歳*°
大切な祖母です*°
私は回顧録に書いてあるように、
虐待を受けたり、
いじめにあったり、
不登校になってしまったりと、
恵まれた環境で育ってはいません。
アルコール依存症の母は、
家事もまともに出来なくなり。。
母の代わりに家事一切を行うのは
まだ未成年の私の役目で、
今でいうヤングケアラーでした。。
当然、家は貧しく、
お年玉とかは一切なく。。
まだ子供であった私は、
祖父母から貰えるお年玉が
何よりも嬉しかったのです*°
ですが。。
12歳の頃を境に、
私は祖母からお年玉を
貰うことをやめました。
当時、祖父母と同居していた
叔父に叱られたから。。
『俺らの子供達が先だろ。』
『お年玉ばかり貰いに来てはダメだ。』
幼い私はそう言われて、
ショックを受けて、
自分が恥ずかしくなり。。
お正月に祖父母に甘えること。
お年玉をもらうことを辞めてしまいました。。
幼いながらも、
どこかにプライドがあって、
いくら貧しくても…
親がちゃんとしていなくても…
ちゃんとしよう!と自分に言い聞かせて。。
あの頃は早く大人になって、
働いてお金を稼ぐことが願いでした🍀
高校生になってアルバイトを始めて、
貰ったアルバイト代で弟達にお弁当や、
お小遣いをあげたりできて、
『お姉ちゃん!』と、
頼られることが嬉しくて*°
そして段々と社会に
出ていくようになって、
世の中を知りたくなって、
私は18歳で故郷を離れて、
東京に就職しました*°
そこで主人と巡り会い*°
故郷に頻繁に戻ることはなくなり、
(その間に弟マコトが亡くなった事も原因で… )
故郷からはますます、
遠ざかってしまいました。。
『遠く遠く』covered by コバソロ&アキ
息子達も曾祖母と挨拶をして、
とても嬉しそうでした🍀
『(私の本名)会いたいなぁ*° 』
祖母に電話をすると、
いつもそう呟いてくれます*°
その声を聞くと。。
幼い頃の私に戻っていきます*°
踏ん張って頑張って…
痛みにこらえていたあの頃。。
必死で何かを守りたくて…
でも非力でいつも泣いていたあの頃。。
『(私の本名)会いたいなぁ*°』と祖母。
『私も会えるまで頑張るよ*°』と私。
何故か。。泣いてしまいました。。
『あなたがいることで 』
幼い頃の思いや辛さが。。
祖母と話すことで暖かい想いと
重なっていくのが分かります*°
『あなたがいることで♬.* 』
に、想いを込めて•*¨*•.¸¸♬︎
おばあちゃん♡
私はここまで歩けました🩰
ありがとう*°
ここまでお読み頂き、
ありがとうございました🍀
皆様もどうぞ暖かくして
お過ごしください*°