いつも拙いblogを
お読み頂きありがとうございます🍀

あーるけーです🩰

この回顧録は*°

『マコトとあーるけーの回顧録*°』から、

幼少期の実父との記憶『満天の星空 』
そして…私が4歳で別れてから34年後の父の死。。
貧困の中、母が生きることが辛くて選んだ道。
母の内縁相手が私達を苦しめた話。。
そして…21年前の2歳下の弟マコトの死。。
を190編書き綴りました。

『回顧録のその先へ*° 』と繋がる。。

これから書く回顧録は存命している母の

アルコール依存についてと…私の反発や葛藤。

それでも生きていく兄弟との日々。。

そして世間の厳しさに立ち向かう話となります。

その始まりは25年程前の『ある事件』きっかけ

に回顧していきます。(内容は回顧録のその先へ0に~)


ドキュメンタリーです🩰



。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *



前回の記事では、やっと連絡📞

のとれた母の事を書きましたが、


『母との雪解けが近いですね。』

『よくぞここまで… 』

『癒されます* 』etc.


皆さん*温かいメッセージを

ありがとうございました🍀


『2年前の私の結婚式❁*.゚』

『兄が父の代わりにエスコートしてくれました』

私には二歳上の兄と八歳年下の
末の弟がいます。

そして21年前に亡くなった弟マコト。。

21年前にマコトが亡くなり。。
私が末の弟を連れて東京に駆けつけた時。。

既に兄は母を連れて、
マコトと対面していました。。

薄暗い霊安室でマコトは、
静かに眠っていて。。

そこに集まった私達。。

実はそれまでバラバラに暮らし、
私は母や兄弟とも…疎遠になっていました。。

それは兄も同じで。。

そんな私達を
また一緒にしてくれたのが。。

マコトでした。。


それでも兄と母は、
分かり合えない部分があり。。

今も距離を置いています。。

それは、

幼少期の母の内縁相手からの虐待と、
その後の母のネグレクトや生活不安が
ずっと続いて…

母も母で兄に対して。。
酷い言葉や暴力を振るったので、
当然の事だと思われます。。

『先日の十五夜🌕』

実は二歳上の兄ですが、
今、入院しています。。

(アメンバーで書いた詳細は伏せます)

その兄ですが…この間偶然、
入院前に母と連絡を取り📞

具合が悪いと伝えていたそうです。

私が兄は入院中だと伝えると、

母は…

まさか兄が入院するまでの状態
だったとは分からなかったそうで、

とても驚いていました。。

でも、母からは何も
してあげられない様子で…


自分が招いてしまった兄や
兄家族との不仲から、

(仕方がないべ)とだけ。。

『母さんがどんなに僕を嫌いでも』


歌川たいじさんの体験をもとに
作られた映画だそうです🎥

※歌川さんはblogもされていました。
  LGBTの方でマンガや書籍を出版されています。

母親から酷い虐待を受けた主人公が、
一度は捨てた母親に向き合う物語*°

そうなれるようになったのは、
周りの人達との暖かい触れ合いで*°

幸せを感じられる様になった
からだそうです*°

『故郷の兄弟と*マコトの姿も共に描いています 』

『今の私なら出来るかも*°』

今の私はささいな幸せを感じつつ*°
日々を暮らしています¨̮❁

母との関係を修復して、
兄の心の傷に少し寄り添えるかも
知れないと思いました。。


修復には、

故郷の家族とはまだまだ
時間が必要だと考えています。

だから…まだ母には
元気でいて欲しいし、

兄には*°体を治してもらい、
少しでも心の傷を癒してもらいたい*°




母の様子や、
兄の病状を知り。。

故郷に向かう事を決めました*°

『11月3日』

マコトの命日を迎えるにあたり、
姉として何が出来るか。。

『私が帰省したのは4年前』
『そしてblogを書き始めました。』

私はまた故郷の家族と、
向き合ってみようと思います*°

『奇蹟』by Uru



(追記)

最近、また悲しい虐待のニュースが
聞こえてきて…強い悲しみを感じました。。


少しでも虐待により、
命を落とす子供がいなくなりますように。。

大人の私達も心を
育てていかなければならないと、

考えます。。




 

にほんブログ村に

参加しています。



にほんブログ村 にほんブログ村へ

にほんブログ村 小説ブログへ


にほんブログ村 小説ブログ ノンフィクション(小説)へ
↑↑↑
クリック宜しくお願いします┏○ペコッ