いつも拙いblogを
お読み頂きありがとうございます*°

あーるけーです🚶

回顧録は私自身の幼い頃の
記憶を辿ります。
時に辛い過去や悲しい記憶を
描く為、読んでお辛い場合は。。
遠慮なくblogをお閉じください。


君はいい子。。

ずっと母に言われ続けて来ました。

(私の名)はいい子だね。。
(私の名)は強い子だね。。
(私の名)は賢い子だね。。


私の幼少期は苦難の連続で。。
最も辛かったのは9~10歳の間に、
母の内縁相手から虐待を受けたこと。。

それが今も心の傷となって、
残っています。

当時。。

母はスナックに勤めていて、
朝は酔いつぶれて寝ていることが多く。。

朝になると母が隣で寝ており、

お酒の飲みすぎで嘔吐して。。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を

私は毎日見ていました。。

そんな母の顔が悲しくて、
私はタオルを絞って。。

良く母の顔や髪の毛を拭いていました。

それが幼い私に出来る精一杯でした。。

『(私の名)…あんたはいい子だねぇ。。』

顔を拭くと目を覚ました母が、
私を見て呟きました。。

そして大粒の涙を流して、

『ごめん…こんな親で。。』と。。

そんな母の姿が忘れられません。。
(私の左頬には虐待の傷跡があります)

私は内縁相手から過酷な虐待を
受けました。。

しかし母にはその虐待の詳細を
話した事は一切ありません。。

でも、あの過酷な虐待を、
逃れたあと。。

母は私に対して、
いい子、強い子、賢い子だね。。

と繰り返し言うようになりました。。

まるで私に謝るように繰り返し…繰り返し。

もしかすると虐待の詳細を
分かっていたのかも知れません。

『親として娘を息子を…守れなかった』

そんな強い自責の念を、
母から感じていました。。

その反面…若い頃の私は、
強く母に反発をして。。

高校卒業後に、
自分で東京行きを決めて、

『母の元を離れて生きる事を決めました。』

~私と母の時間は25年前から止まったまま~

離れて生きると決めたあの時から。。

━━━━━━━━━━━━━━━

今はわだかまりも少しずつ解けて、
母と時折電話で話します。

今でも私に対して母は。。

『(私の名)はいい子。強くて賢い子だよ。。』

と電話口で繰り返します。。

(もう…そんなふうに言わなくて良いよ。。)

私は母にそう言うけれど、
母は詫びるように今も…繰り返します。

~母との時間は止まったままなのだ~

母と過ごせるのは、
あとどの位でしょうか。。

母と私の時間が進むのはいつなのだろう。。

私が故郷に戻り、

母の手を握り。。

ありがとう*°と言える日がくれば。。

もしかしたら。。

『時間を少し動かせるかも知れません*° 』

『あなたがいることで』
まだ上手く歌えないのですが。。
歌詞が自分と重なります...♪*゚

コロナウイルスの拡大で、
故郷に戻ることもままなりませんが。。

いつか近いうちにきっと*°

故郷へ帰ろうと思います🚶

映画『君はいい子』~児童虐待を題材にしています
『抱きしめられたい。。』
『子供だって、おとなだって。。 』
(映画の中より)

私は福祉の世界で『支援者』を
目指していますが🚶

本当に救いたかったのは、
『母』や『家族』だったのかも知れません。。


ここまでお読み頂き*°
ありがとうございました🚶





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