いつも拙いブログを
お読み頂きありがとうございます*°
あーるけーです🚶
次男の受験シーズンの最中*°
ふと。。弟の受験の時を思い出しました。
私の育った家庭は4歳で父が家を出て、
それから母子家庭で貧しくて…
辛い記憶ばかりの生活でした。
弟の名はマコト。
そして機能不全家庭であり、
学ぶ事に大きな弊害があり…
夢を叶えるには程遠い環境でした。。
兄と私は同じ実業高校へ。
マコトは私達よりももっと
偏差値の高い高校へ進んだのでした🚶
あの時の🌸
マコトが合格した時の
喜びが私の中にしっかりと残っていました*°
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私もその日は高校で、
でもマコトの合格が気になって
仕方がありませんでした。
お昼頃にうちへ電話すると、
受かったよ(*^^*)と母から聞いて、
姉の私は胸をなでおろしました。
うちに帰ってマコトにおめでとう🎊
と伝えるとあぁ♪と少しはにかんだ笑顔🌸
一足先に家を出た兄も凄いな!と、
マコトの事を褒めていました(*^^*)
末の弟は当時まだ10歳で、
受験の意味が分からずにいたのかな?
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
あの頃。。
私は高校三年生で、
学業とアルバイトに精を出し、
兄は高校を卒業して、
家を出てしまっていました。
『虐待の傷も癒えて自分の事を何とか
しようと…皆生きることに一生懸命』
であったあの頃。。
そして私がその一年後に東京へ就職。
『段々と家族が少しずつ自立し離れていった』
マコトはそんな中…高校に行かなくなり、
家に閉じこもる事が多くなっていった。。
『そのサインに早く気がついていれば…』
私が東京に就職してしまってからは、
家の中に支えになりうる人が。。
いなくなってしまったのかも知れません。
『離れてしまった事が悔やまれます…』
『そしてマコトは20歳で自分の
人生を終えてしまった。。』
今でもふと。。
考えるのです。。
何とか出来たんじゃないかな?
もっと声をかけてあげたかったな。。
『サバイバーズギルト』
~生き残った者の自責の念~
この言葉をblogで知りました。
過去はやり直せないし、
喪った命は戻らないけれど、
その想いを深く深く*°
抱きしめて。。
『共に生きていく力』
と出来るよう*°
『今を生きている私です*』
『Tomorrow never Knows』
再び僕らは出逢うだろう。
この長い旅路の何処かで...♪*゚
『そうだな*生きていくしかないな。。』
ここまでお読み頂き、
ありがとうございました♪
皆様もお体を大切にお過ごし下さい🚶
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