私もスポーツ選手たちのすばらしい汗と情熱に感動します。しかし、日本のスポーツにはバランスの崩れと非科学的な側面を感じます。
1)甲子園
もはや日本の気候は以前のものとは違います。今年の甲子園では、ピッチャーの中に、温度にやられている選手が比較的多かったと思います。ほんの20年前まで、日本では、スポーツ中に水分をとるな!などと言う指導が教育界でまかり通っていたことを考えても、最先端な指導、スポーツ科学がどこまで浸透しているのか不安です。また、甲子園での過酷な経験が投手に負担かけ、投手に悪い影響を与えるという指摘、根拠もたくさんあります。1日も早く、投球制限、もしくは、試合出場制限などのルールが必要だと感じます。
キレイごとばかりを並べる評論家がいますが、大人の世界では、その学校が有名になるための手段、プロにアピールする場所、指導者のキャリア成果を見せる機会なのです。子供だけに精神論を押し付けるのはやめて、もっと、科学的な根拠でスポーツをして欲しいと思います。
2)スポ根
甲子園を虐待と称する人も出ていますが、スポーツ界には、どうも非科学的な根性重視の世界が残っていますね。軍隊を育てられなくなった輩が、スポーツで指導者になったみたいな感じでしょうか?
最近話題になった虐待はじめ、毎日練習させる若者の部活動、~らしいというような表現で秩序をたもとうとするノームなどを改め、もっと、爽やかで、科学に基づいた世界がスポーツ界に広がることを願っています。
たとえば、ヨーロッパの子供たちなどは、1つのスポーツに駆使するのではなく、多くのスポーツを学ぶ機会があります。その中で、バランスのよい素質を育てる土壌があると思います。日本の少年サッカー、野球などを見ると、バランスが崩れていることをすごく感じます。小学校低学年から、1つのスポーツ漬けにしてしまうことが良いことだとは思いません。
また、部活などでは、「毎日練習」が通常のようで、強いチーム=毎日練習 というノームになっています。これも、スポーツ科学からすれば、絶対ではないようです。時期によっては、毎日必要な場合もあります。しかし、定例で土日も練習するような風習は、バランスを崩しているとしか言いようがありません。これは、日本の大人の世界での、すべてを管理下におき、自立の機会、自主性を高める機会を排除し統一、平等に物事を進める悪しき習慣に根本があります。そして、このような意味の無い管理癖が、今の若者の問題点を作り出していると感じています。
1)甲子園
もはや日本の気候は以前のものとは違います。今年の甲子園では、ピッチャーの中に、温度にやられている選手が比較的多かったと思います。ほんの20年前まで、日本では、スポーツ中に水分をとるな!などと言う指導が教育界でまかり通っていたことを考えても、最先端な指導、スポーツ科学がどこまで浸透しているのか不安です。また、甲子園での過酷な経験が投手に負担かけ、投手に悪い影響を与えるという指摘、根拠もたくさんあります。1日も早く、投球制限、もしくは、試合出場制限などのルールが必要だと感じます。
キレイごとばかりを並べる評論家がいますが、大人の世界では、その学校が有名になるための手段、プロにアピールする場所、指導者のキャリア成果を見せる機会なのです。子供だけに精神論を押し付けるのはやめて、もっと、科学的な根拠でスポーツをして欲しいと思います。
2)スポ根
甲子園を虐待と称する人も出ていますが、スポーツ界には、どうも非科学的な根性重視の世界が残っていますね。軍隊を育てられなくなった輩が、スポーツで指導者になったみたいな感じでしょうか?
最近話題になった虐待はじめ、毎日練習させる若者の部活動、~らしいというような表現で秩序をたもとうとするノームなどを改め、もっと、爽やかで、科学に基づいた世界がスポーツ界に広がることを願っています。
たとえば、ヨーロッパの子供たちなどは、1つのスポーツに駆使するのではなく、多くのスポーツを学ぶ機会があります。その中で、バランスのよい素質を育てる土壌があると思います。日本の少年サッカー、野球などを見ると、バランスが崩れていることをすごく感じます。小学校低学年から、1つのスポーツ漬けにしてしまうことが良いことだとは思いません。
また、部活などでは、「毎日練習」が通常のようで、強いチーム=毎日練習 というノームになっています。これも、スポーツ科学からすれば、絶対ではないようです。時期によっては、毎日必要な場合もあります。しかし、定例で土日も練習するような風習は、バランスを崩しているとしか言いようがありません。これは、日本の大人の世界での、すべてを管理下におき、自立の機会、自主性を高める機会を排除し統一、平等に物事を進める悪しき習慣に根本があります。そして、このような意味の無い管理癖が、今の若者の問題点を作り出していると感じています。