エヴァンゲリオンがヒットした理由と日本社会が抱える課題 | 大橋宇宙のブログ 

大橋宇宙のブログ 

大橋宇宙の日常と妄想。



久しぶりにブログを書きます。


最近はあまり映画は見ないし、同じ作品を何度も見ることはないですがエヴァンゲリオンは別です。

今日もシンエヴァンゲリオンを見返していました。

自分自身なぜこの作品に惹かれるのか自問自答しながら。

そして今回この作品は現代日本社会が抱えている問題点を浮き彫りにしているのではないかという仮説が浮かんできたのでブログを書いた次第です。


一言で言うと

「現代日本の教育の失敗と自己肯定感の低い人々の生まれた原因とその解決策」

をこの作品は提示しているのではないかと私は見ています。


さて、まず質問です。

エヴァンゲリオンはどうして多くの人々の心に響いたのでしょうか?

それは多くの人々にとってこの作品自体が自分自身の投影でありそしてそんな自分自身に対して希望の光を灯してくれているからです。

これは娯楽全てに当てはまる事でもあります。自分自身を優しく包み込んでくれて明るくしてくれる、そんな存在に人々は引き寄せられるのですから。


そんな中でこの作品の特筆すべき点は主人公の性格です。

これまでのアニメ作品の中で碇シンジほど根暗で無気力な主人公はいなかったでしょう。

物語は主人公に魅力がなければ成り立ちません。

コツとして1つは主人公が多くの人々が憧れるようなヒーローの様な魅力を持っている事、そしてもう一つは親近感を覚えるような共感する様な弱みを持っている事です。

物語前半の碇シンジにはヒーローとしての魅力は皆無でしょう。だからこそ彼の魅力はなんと言ってもその親近感なのです。


分かりやすく言えば日本社会で無気力で根暗な若者が量産されたし、そうした若者が碇シンジに親近感を覚えエヴァンゲリオンに心惹かれたのだと私は見ています。

エヴァンゲリオンの魅力はそうした影の薄い人々に謎多き設定や演出で「あなたは世界の運命を握っている重要人物である」と思い込ませる事に成功した事です。

これまでほとんどスポットが当たった事がなかった様な人が急に「君は世界の命運を握っている重要な人物なんだ」と言われたら悪い気はしないでしょう。

そしてそれ自体は嘘ではないのです。


そしてもちろんそんな彼らの抱えている問題の解決策も当初から示していました。それはテレビ版の最終回のこのセリフからも分かる通りです。


僕は僕が嫌いだ。でも、好きになれるかもしれない。僕はここにいていいのかもしれない。  そうだ、僕は僕でしかない。僕は僕だ。僕でいたい!僕はここにいたい。僕はここにいてもいいんだ!

(新世紀エヴァンゲリオン最終回より引用)


世界はその人自身の見方次第であり、まずは自分を肯定する事で世界を前向きに捉える事が出来るのです。

しかしご存じのようにテレビ版では庵野氏のメッセージは多くの視聴者には理解出来ず反感を買う事になります。それはそのメッセージを彼らが理解するにはあまりにもその為の説明と彼ら自身の経験が足りなかったからです。

そういう意味でエヴァンゲリオンが完結するのにここまで時間が掛かったのも仕方がなかった事なのかもしれません。


さて次に日本社会で無気力で根暗な若者が量産された理由について話していきましょう。

無気力で根暗な若者の量産は教育にあると思います。

それは少子化にも関わらず引きこもりや不登校が増えている現状からして間違いないのではないでしょうか?


エヴァンゲリオンの冒頭では碇ゲンドウは息子のシンジに久々に会ったかと思えばエヴァに乗れと命令する。でもシンジはどうして乗らなければいけないのか理解が出来ない。

これは大人達が子供に勉学を強要するがそれがどうして必要な事なのかうまく説明できずに子供に無理強いする姿のメタファーだと私には思えてなりません。

そしてコミュニケーションが乏しい中無理矢理強要するからこそ無気力で根暗な若者を日本社会は量産したのです。

初めて接した他人であろう親とのコミュニケーションがうまく出来なかった人は他人とどう接していいのかわからず結果的に自分自身の殻に閉じこもり無気力で根暗にならざるを得ません。

そこから脱するには他人とのポジティブな接触と成功体験が必要です。それはエヴァンゲリオンの中でも描かれてきた事でしょう。

しかしそれを作品内で描いたからといって視聴者が必ずしも作者のメッセージを全て受け止めるとは限りません。それはどんなに視聴者が理解できる様に工夫したところでその人自身がそういった成功体験を経験しない限り主人公の様に行動する勇気は生まれないからです。


だからこそ物語は人が行動するきっかけを作る事はあっても人を変える事は出来ません。人が変わる為には結局その人自身が能動的に行動しなければ意味はないのです。


「世界はその人自身の見方次第であり、まずは自分を肯定する事で世界を前向きに捉える事が出来る。」


たったそれだけの事ですがそう思えない若者はまだまだいるでしょう。

だからこそ自分自身を前向きにしてくれる存在を求めます。その内の一つが娯楽でありアニメや漫画の世界に埋もれようとする若者が存在する理由です。

その世界にいさえすればありのままの自分は肯定され励ましてくれさえするのですから。彼らにとって娯楽の世界に浸かる事は彼らの居場所に身を置いているに過ぎないのです。

かつてはそういった居場所は気のおける友人や近所のコミュニティ、家族間であったのかもしれません。しかし現代社会はあまりにもコミュニケーションの希薄な世界となってしまいました。その結果がネットやゲーム、アニメの世界に閉じこもる若者の創出に繋がったのではないかと思うのです。


大事なのは人々が自分自身を肯定して前向きに世界と向き合える様に成功体験やコミュニケーションを取る機会を手にする事です。

これまでの教育は大人達の接し方からコミュニケーションを拒むという逆の結果を招いていたのではないでしょうか。

だからこそ大人はその様な接し方を改めて彼ら子供達が自分自身を肯定できる様な成功体験やコミュニケーションを取る機会を意識的に設けていく必要があるでしょう。それは学力以前の問題なのです。主体的に学びに向き合うには世界を肯定的に見て好奇心を持って向き合う必要があるのですから。