久しぶりに「STRAY SHEEP」の感想の続きを書きます。
「馬と鹿」、難しい歌詞ですよね。いったい何について語っているのか?
なぜ馬と鹿なのか?「あまりにもくだらない願い」とは何なのか?
ノーサイドゲームというラグビーを題材としたドラマのために作られた主題歌ということも考えると更に分からなくなる。
でも、ドラマの内容とか、ラグビーとかに引きずられると解釈を間違ってしまうような気がするので、自分が聴いたときの印象のままに考えたいと思う。
アルバムの中の一曲として改めて見てみた中で気づいたことがあったので書いてみる。
これが愛じゃなければ何と呼ぶのか 僕は知らなかった
僕の中に相手に対する非常に強い感情がある。それが愛でないとすると、一体何と呼べばよいのだろう?
つまりは愛だと遠まわしに結論づけているわけですが、そこにストレートには至らない逡巡が少なからずあるわけですね。
呼べよ怖れるままに花の名前を 君じゃなきゃ駄目だと
この曲の中でも一番印象的な、叫びにも似たフレーズですね。
ところで、「君じゃなきゃ駄目だと」という歌詞なんですが、今回のアルバムには他の曲にも似たようなフレーズがありますね。
君じゃないといけない この惑い (PLACEBO)
君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ (まちがいさがし)
「PLACEBO」も「まちがいさがし」も、その人との出会いはもの凄く大きなものなんですよ。
PLACEBOでは「何もかもが いつの間にか変わり果てる魔法」だし、まちがいさがしでは「その日から何もかも 変わり果てた気がした」って。
「まちがいさがし」と「馬と鹿」ってほぼ同時期に作られてるんですよね。
もしモデルがいるとしたら、同一人物を想定していると思うんですよ。何しろ「君じゃなきゃ駄目」ってことは唯一無二ってことですから。
「まちがいさがし」にも「間違いが正解かどうでも良かった」というフレーズにも、この思いは間違いかもしれない、という逡巡を感じるんですよね。すごく強く思う気持ちの一方で、何かストレートにそれを愛だと言えない「何か」がそこにはあるんです。
なぜか?
PLACEBOで歌われている相手というのは、偽薬であり、甘い罠でしかないわけです。美しい面もあるが、関わればズタズタに傷つく可能性もある危険な相手だということがどこかで分かっている。
そんな相手を本気で愛するというのは、ハッキリ言って馬鹿です。愚かです。
でもやっぱりそれは愛としか呼べない、愛と呼んでしまえと鼓舞しているんですね。
「あまりにくだらない願い」
願いというのは、基本的には「善きもの」ですよね。そうあって欲しいと願うのは何らかの理想の状態でしょうから。
それを「あまりにくだらない」と卑下してしまうっていったい何なのだろう?と心に引っかかっていたんですが、愛のない相手に愛を求めること、ダメだとわかっているのに諦められない愚かな自分の願いを卑下しているのかもしれません。
それは単純に「相手がこんな自分のことなんて好きになるわけがない」とか「相手には他に好きな人がいる」とかいう問題ではなく、相手はそもそも人を愛することが不可能な人間なんじゃないだろうか、というような根幹に関わる問題のような気がする。
サイコパス的な人間の魅力に騙され、かつその正体に気づいてしまった人間がわずかな希望を捨てきれず突き進んでいく悲劇がそこにある。
PLACEBOの「ひとつのコメディ、またはふたつのトレジディ」というフレーズ。
騙し騙されているという構図は一つの喜劇だけれども、騙されて傷つく主人公と人を愛することができないという相手の心の闇は2つの別個の悲劇的な問題ということなんじゃないだろうか。
そしてその願いを具体的に言うとするならば、「退屈なくらい何気なく傍にいて」欲しいとか、「誰にも見せない顔を見せて」欲しいというような、ささやかなものなんじゃないだろうか。