ぱーのワーイホリックday!! -214ページ目

日本史(P31~41)

5世紀後半から大和政権は大王と周辺の豪族を中心に基盤を固める。
豪族は血縁関係を示す氏、政権内での地位を表す姓を持った。(氏姓制度)

氏には蘇我のように地名によるもの、
大伴・物部のように職掌によるものがある。
姓には
一定の地域に基盤を持つ臣(葛城・吉備)、
特定の職掌を持つ連(大伴・物部)、
地方の有力豪族である君、
一般の地方豪族である直、
などがある。
朝廷の政務を行ったのは伴造で、渡来人が多かった。

有力豪族は田荘(土地)、部曲(人)を領有し経済的基盤とした。
大和政権は、地方豪族の支配下の農民を名代・子代の部とし、
屯倉(直轄地)を田部に耕作させた。
名代・子代部や田部の管理を行ったのが、大和政権に服属した豪族で、
彼らは国造や県主となった。

6世紀初め、筑紫国造岩井の乱を鎮め大和政権は地方支配を強める。
継体天皇の時は大伴氏が勢力を持つが
朝鮮政策の失敗から失脚し、
6世紀中ごろの欽明天皇の時には
大連の物部氏と大臣の蘇我氏が争う。

587年になると、蘇我馬子が物部守屋を滅し政権を独占。
592年には崇俊天皇をも暗殺。

この政治の不安定な時期に現れたのが推古天皇。
摂政の聖徳太子は蘇我馬子と協力し、
地位を表す冠位十二階の性、
役人としての心構えである憲法十七条を制定した。

外交面では遣隋使として小野妹子を派遣し、
高向玄理、南淵請安などの留学生が従った。

この頃の政治の中心は飛鳥にあったので、
この時代を飛鳥時代と言う。

飛鳥時代には、朝廷の保護を受けた仏教が発展し
最初の仏教文化が起こった。
蘇我氏の飛鳥寺、聖徳太子の斑鳩寺などがそれで、
豪族の権威を示すものであった。

飛鳥文化は古墳文化に中国南北朝の文化を取りいれたもの。
彫刻では、止利仏師の作とされる法隆寺金堂釈迦三尊像があり、
北魏の彫刻との共通点が見られる。

大陸からは
曇徴によって絵具・紙・墨、観勒によって暦が伝わった。

618年になると、中国で唐が起こる。
唐は租庸調制・均田制を中心に中央集権体制を敷こうとする。
日本もこれにならい、
645年、中臣鎌足と共に蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした中大兄皇子が
孝徳天皇のもとで皇太子となり国政改革に乗り出す。

政策立案は内臣である中臣鎌足や国博士である高向玄理が担い、
新政府は646年、改新の詔を発布。
この中で皇族・豪族の土地人民を国家のものとし(公地公民制)、
班田収受法を定めた。

こうして中央集権化が進み、この一連の改革を大化の改新と言う。

中大兄皇子は大化の改新の後も、改新政治を進め、
667年には都を近江に移し、翌年には天智天皇となる。
天皇になってからは最初の令である近江令を制定し、
最初の戸籍である庚午年籍を作った。

天智天皇の死後は、壬申の乱が起こる。
天皇の弟大海人皇子と天皇の子大友王子の争いである。
この争いに買った大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位し、
天武天皇となる。
天武天皇は皇族中心の政治で中央集集権化を推進し、
官吏制度として八色の姓を制定した。

天武天皇の後即位した持統天皇もこの流れを汲み、
飛鳥浄御原令の施行、
それに基づく庚寅年籍の作成を行った。
また飛鳥の北方に藤原京を営み、
中央集権体制が強化されていった。

ごめんなさいの時


ぱーのワーイホリックday!!

どう?
食べ始めより減ってるよね?w

あーもう駄目です。
ここにきてお腹痛くなってきました。
キュルキュル鳴ってます。

これはまずい。
申し訳ないけどごめんなさいするしかないですね。

にんじんの味はまともなのでにんじんだけは食べとくか。

WASABI


ぱーのワーイホリックday!!

わさびの殺菌能力って、腐ってしまったものには効かんよね。

けどわさびも食べといたらちょっとましかなー


わさび食べるか
食べんとくか







食べないっ!
OK!!

どころじゃない

これ海鮮どころじゃないかも。
やっぱ変やわ。
お腹壊すかな?


食べるべきか
食べんべきか







うーん






食べるっ!
OK!!

きわどいか?


ぱーのワーイホリックday!!

火曜に店でもらった焼きそばの存在を忘れてて、
今日まで常温で放置してたんですが、
これきわどいかな?
今食べてて、「ん?」ってなりました。

肉とかなしのただの野菜焼きそばなんやけど、
海鮮の味がするのはなんで?
具はもやし、たまねぎ、白菜、にんじんのみ。
どれも海っぽくないよね。

食べるべきか
食べんべきか






うーん








食べるっ!
OK!!