日本史(P54~P64) | ぱーのワーイホリックday!!

日本史(P54~P64)

奈良時代の文化は天平文化と言う。
唐の影響を受けた国際色豊かな文化。

国史編纂が行われ、『古事記』、『日本書紀』が作られる。
『古事記』は稗田阿礼が読み、太安万侶が筆録したもの。
『日本書紀』は舎人親王が中心となり編纂したもの。
地誌の編纂も行われ、諸国の風土記ができる。

漢詩は白鳳文化よりも一層重んじられ、
淡海三船、石上宅嗣が有名。
漢詩集『懐風藻』もできる。
和歌では、
山上憶良・山部赤人・大伴旅人・大伴家持らがでる。
万葉がなでできた『万葉集』も作られる。

官吏養成機関としての大学・国学が設立。

仏教は国家の保護を受けて繁栄し、
仏教研究をする南都六宗が形成された。
戒律を伝えた鑑真、
社会事業に尽力した行基の影響も大きい。

建物には、
東大寺法華堂、唐招提寺金堂、正倉院宝庫がある。
彫像では、
塑像・乾漆像の技法が発達。

絵画には、
薬師寺吉祥天像や鳥毛笠女屏風がある。

光仁天皇の次にでたのは桓武天皇。
都を寺院などの旧勢力の影響下から離そうとし、
山背国に移す。
更に長岡京、平安京と移し、ここから400年間が平安時代。

桓武天皇は蝦夷征討を行う。
征夷大将軍坂上田村麻呂が北上川中流域に胆沢城を築き、
さらに北方に志波城を作った。

また政治改革として、
国司・郡司を取り締まる勘解由使を置き、
郡司の子弟を健児として国府の守備などにあたらせた。

次の平城天皇は官吏・官人の整理を行い、財政負担を軽減。
その次の嵯峨天皇は新たな職として
天皇秘書官として蔵人頭、
京内警備・裁判を行う検非違使を設けた。
こうして制度改革が進む。

嵯峨天皇はまた、法令を編集して弘仁格式をまとめる。
これは、律令の規定を改正する格と
施行細則としての式からなる。
令の解釈を統一するために『令義解』も作られた。

農村では相変わらず有力な農民が開墾を続ける。
浮浪・逃亡のため収入が減った政府は
公営田・官田を設けるが、
官人たちはそれぞれ自分の田(諸司田)を持つようになる。
9世紀には天皇も勅使田、皇族も賜田を持つようになり。
律令体制は次第にほころびを見せ始める。

平安遷都から9世紀末頃までの文化を弘仁・貞観文化と呼ぶ。

仏教では、
最澄が天台宗、空海が真言宗を開く。
どちらも密教で、前者を台密、後者を東密と言う。
(天台宗が密教をと取り入れるのは円仁・円珍から)
仏教は従来の神々の信仰と融合し
神仏習合の動きが見られる。

絵画では曼荼羅が発達し、
仏像は一木造のものが多い。

漢詩はますます栄え、
歴史書として『日本書紀』に続く六国史が成立。
漢詩文集として『陵雲集』・『文華秀麗集』・『経国集』
もできる。

書道では唐様がもてはやされ、
嵯峨天皇・空海・橘逸勢を三筆と呼ぶ。