日本史(P19~P31) | ぱーのワーイホリックday!!

日本史(P19~P31)

弥生時代はクニと呼ばれる小国が多数存在。
小国の王たちは自らの立場を強めるため中国に使者を送る。
倭の奴国王は後漢の光武帝から金印を受け取った。

諸国間の争いは絶えない。
そこで邪馬台国の女王卑弥呼を中心とし、
小国の連合を作ることに。
見事争いは収まる。
卑弥呼の死後、男の王が立つが国はまとまらず、
壱与になって収まる。

3世紀になると、各地に古墳が出現する。
出現期で最も大きい古墳は奈良の箸墓古墳。
この時代は奈良(大和)の勢力が強かったことが分かる。
大和を中心とした政治連合を大和政権と言う。

古墳の副葬品は前期は三角縁神獣鏡など呪術的なものが多い。
後期には武具など武人的なものが増える。
日本最大の古墳は大阪の大仙陵古墳。
大和政権の大王の墓と考えられる。

朝鮮半島では北高句麗、
南に馬韓・弁韓・辰韓ができる。
馬韓は百済、弁韓は伽耶諸国、辰韓は新羅となる。
日本は伽耶諸国と密接な関係にあったため高句麗と争う。
(好太王碑の碑文に記されている。)
この朝鮮半島での戦いを有利に進めるため、
日本から中国に朝貢する。
讃・珍・済・興・武を倭の五王と言う。

逆に中国や朝鮮からは多くの渡来人が来て、
機織り・土木などの技術を伝える。
土器はそれまで土師器が中心だったが、
朝鮮の技術から須恵器が作られるようになる。
また漢字・儒教・仏教・医学・易学・歴学も伝わり、
『帝記』や『旧辞』はこの頃作られ始めたと考えられる。

古墳の副葬品が武人的性格を持つようになったとは言え、
呪術的風習が廃れたわけではない。
禊や祓、太占の法、盟神探湯が行われ、
祈年の祭りで豊作を祈り、新嘗の祭りで収穫を感謝した。