そもそも信じる事をやめたキッカケは
資源回収の日に私の聖教新聞と、だれかの
大白蓮華の束が置き去りになっていたから
です。
近所の副本部長がウチに言いに来て
聖教は出したけど、大白蓮華は
私じゃありません。といいました、
仕方がないから引き取ってあります。
前には、私の出した聖教新聞が
回収所から無くなるということが何回か
ありました。不可解でした。
聖教新聞を引き取って、その日は
「電子版を取ります。9月いっぱいで
紙面の方はやめます」と副本部長に。
10月1日までの間に色んな事を
思い出しました。
殆ど、いじめに遭って嫌な思いを
我慢した事です。
他にも勤行や唱題が、ろれつが
回らなくて苦労してる毎日のこと。
いざ、10月1日を迎えて。。
私は「新聞も、勤行もやめよう」と。
学会本部でも「聖教新聞の購読は会員の
義務ではありません」と言われたし。
キッパリ辞めました。
辞めて半月以上経ちました。
何も嫌なことは起きていません。
忙しい朝に、時間的に余裕が。
罪悪感は全くありません。
私はきっと、ずっと学会が嫌いだった
けど、キッカケが無かったのかも
知れません。
私の姉に(キリスト教)に話したら
「それは良かったね!」と。
勧誘されるでもなく、かえって
「祈ってあげるね」って。
創価学会の祈りは、安らかでは
ありませんでした。
「如来の使いとして今世の使命を
果たさせてください」とか
心の中で、怯えている私がいました。
いまは、とても解放された状態です。
ある心理カウンセラーは昔、
「お題目3回だけでもいいのよ」と。
3回どころか、1回も唱えていません。
こんな自分になれるとは、想像して
いませんでした。
とにかく自由です。楽しいです。
幸い私はひとり信心でしたので、
信じる事をやめるのは容易でした。
もういい歳なので、気楽に生きて行きます。
〜しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる〜