昔、とある雑誌に連載を持たせて貰っていた。
その時に見た社会の暗部は、その後の作品づくりにかなり影響を受けている。
そこに至るあれこれは敢えて省くが、その雑誌の編集長が、『君の文章が面白いから』というだけで見開き2ページも持たせて頂いていたのだ。
一応全国誌なので、音楽よりも実質、モノ書きが私のメジャーデビューとなる。
20代前半。
その時期の私は、音楽だけでなく、社会の暗部を見なければならない時期だったのだと思う。
社会という檻の中で生きる男達の悲哀。
地位もお金もあるけれど、
独りでは淋しくて眠れないという。
誰かの声が聞きたい。
誰かに傍に居て欲しい。
両親がいつも不在の、裕福な家の女の子。
確か、有名人と付き合ってるって言ってたな。
そして、愛されていないことも知ってた。
お金なんか要らない。
愛が欲しい。
誰かに愛して欲しい。
普通の家庭の温もりが欲しい。
男も女も、みんな淋しい。
愛が欲しい。
淋しい人の、淋しい叫びが夜な夜なこだまする。
これが、かつてあれほど海外から憧れられた、今の日本の実情だ。
人々の決して消えない淋しさと哀しみを、面白可笑しくオブラートに包んで、未だ見ぬ誰かに届くといいな、と毎月せっせと書かせて貰った。
あれから何年か経ったが、この世界は未だ、淋しい人を生み続けている。
SNS上の薄い人間関係と、発達したネットワークの海原で、人は情報の波に飲まれ漂うだけ。
これ程までに膨大に情報が溢れても、情報には結局体温は無いから…
《淋しい》は永遠に続くのだ…
守られた温室しか知らなかったあの頃の自分では、薄っぺらい作品しか創れなかったと思う。
だから、《あの頃》は必要な時間だったのだ。
その後、私は絶望というものを知った。
どんなに願っても、決して叶わないことがあることを思い知らされた。
だけど、涙は見せられない。
だから、また音楽に戻ってきた。
連載から身を引いて10年以上経ってから、突然編集長から音楽の仕事を戴くのは、また別のお話し…
■今はアーティスト
■そして校長先生