たまにブラックホールに吸い込まれるように、
気分が落ちるとき、がある。
それはあの人のあの言動がきっかけ。。。
その人のせい、、、のように見えるけど、
そうじゃない。
私は私を孤独だと思っていた。
私は私を価値がないと、
愛されるに値しないと、
とんでもない人間だと、
生きてる意味なんてないと、
どうせ裏切られると、
うまくいくはずないと、
調子よく進んでもどんなに配慮しても、
必ず誰かを傷つけてしまう、、、
私は私を
害虫のようだと
思っていた。。。
だから、
この思い込みに共振するエネルギーを感じると、
それをすっかり取り込んでしまい、
ほらね、やっぱり、と、
自分攻めが始まる。
無意識に発動する。。。
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これが、
『人から傷つけられた』ということの真実。
人が『学ぶ』時、
自己教育しかあり得ない、のと同じように、
人は内面への活動は、
その人自身でしか行いようがない。
つまり、
他人から傷つけられたのではなく、
それを取り込むかどうかは、
その人自身に委ねられているのだ。
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私が吸い込まれるプラックホールは、
私自身がつくり上げてきていたのだ。
なぜこんなに苦しくなるのだろうかと、
なぜこんな思いをするようなことが、
度々起こり、どうしようもなく落ち込んでいくのか、
その理由がようやく分かり、腑に落ちた。
まだ自分を否定する声を、
手放せてなかったようだ。。。
これね、子ども時代にせっせと、
つくられてきたもの。
いや、
これは周囲の大人、環境のせいではなく、
私の本質がこう仕向けていたのだと、
今ならよく分かる。
そして、だから教育とは何か、
教育者とはどのような在り方が好ましいのか、
私の考察は、
やっぱりここへと繋がっていく。