子どもたちのお昼寝の時間。
寝付くまで、寄り添い、
リラックスできるようマッサージしたり、
添い寝をしたり、
両手で抱くように包んであげたり、
そんなことをしていると、
この子がとても、愛おしくなる。
今日は、ふと、
母親の事を思い出した。
あぁ、そういえば、
母からこんなことしてもらってた時が
私にもあったなぁ、と。
・・・そしたら、
この、腕の中で眠る子も、
大きくなったら、
母親の事を、思い出すんだろうなぁ・・・と。
私に、こんなに素敵な寝顔を見せて、
無防備に眠る、この子は、
きっと、私の事を、
思い出すことはないのだろう。
『私は愛されていた』と、
この子が思い出すのは、
親の顔なのだろう。
私たち保育士は、
この子の記憶の中では、
忘れ去られる。
こんなに愛おしいのに・・・。
でも、確実に、
この子の今の生活を支えている。
この数年間、共に過ごした日々は、
こんなに深く、濃密な時間を重ねているのに、
彼ら、彼女らの、記憶からは、消え、
忘却の彼方へ、
薄く溶けていくのだろう。
私として、少し寂しくもあり、
切ない気持ちになった。
でも、保育士とは、
そういう仕事。
たとえ、この行為が、記憶からは
溶けて消え行くのだとしても、
彼ら、彼女らの、根幹の、
体と、心の土台となり、
その後の人生を支えていく。という、
確固たる未来の姿を、
今の私には、感じることができる。
まさに、
神のような、
天使のような働き。
潤沢な、溢れる愛で包んでやり、
そこから染み入る力が、
生きる力へ転換していく。
そしてその事実は、
与えられた者も、
与える側の者も、
そして、それを見つめていた者たちも、
誰一人として、気づくことのない行為となる可能性が、
圧倒的に高い。
それでもなお、
次々に訪れる親子に、
愛を注ぐ・・・。
先生は、聖職だ、と、言われていた由縁が、
ここにあるのだろう。
私には、実子が今はいない。
つまりは、
この、忘れ去られるむなしさの
代わりとなる者がいない。
だからこそ、
それでもなおやるか、
その覚悟はあるのか、
という、問いかけが、
私に
訪れたのだろう。