セクハラとか、パワハラ、とかさ~、
問題になって、発覚したとき、
加害者は、初め、
そんなつもりなかった、とか、
強要した覚えはない、とか、言って、
被害者が、過剰に受け止めている、と、
ほとんどの場合、言ってる。
ってことはよ、
被害者の方は、
断ったらダメだろう、とか、
こんなこと言われても、我慢しなきゃ、とか、
そんながんばり、
いらん!ってことだね。
これ以上言われると、
パワハラだと、受け止めますよ!とか、
これは、強要ですか?とか、
きちんと、聞けば良いんだね。
こっちが、過剰に受け止めてるのかもしれないし
とは言っても、
そうやって言える人は、
こういう問題に出会わないんよね。
こういうのに会う人は、
自分のこと後回しにして、
相手の想いを一番に聞いてやる、
他人軸で生きてる人、なんだよね。
つまり、残念ながら、
『自分』を生きてないから、
そこを、つついてくる出来事が
パワハラとか、セクハラのような形でやってくる。
ってこと。
それ以前にも、似たような事、あったでしょ?
まだ、気づかないの?
これならどう?
今度はどう?
って、語りかける出来事が起きる。
試しに、
こういう、
セクハラや、パワハラを今受けてる人は、
『自分』というものを、
しっかり持ち、
自身を一番に、大切にしてやる、と、
受けなくなるよ。
これ、わたしの人体実験済み。
相手をなんとかしようとしても、
この世界は、
うまくいかない。
洗脳とか、ややこしい技術を使わずに、
すんなり『わたし』が、コントロールできるのは
『わたし』だけ。
だから、
相手をどうにかしようとするのは、無駄な努力、
なんだよね。
あ、もちろん加害者を、肯定してるんじゃないよ。
『わたし』が、コントロールできるのは、
『わたし』だけ。
で、
『わたし』が、何を、どう感じるか。
どんな出来事に、どういう反応をするのか、
これこそが、『生きる』ということ。
『生きる』意義が、ここにある。
と、今のわたしは、感じている。