人に何か教える、とか、
導く、とか、

これって、言う側の傲慢だと

気づいた。




人は、それぞれ、この人生で
やりたいこと、
知りたいこと、
経験したいこと、

全部、神様と決めて来ている。

そして、それに向かうように、
神様の采配は、
完璧になされている。

...と、するのなら、


そこに、別な誰かが入り、
「こうした方がいいよ」なんて
アドバイスするのって、
無駄なこと、なのかもしれない、

と、感じてしまった。


ならば、親や、教師、先輩や上司は、


何者なんだろう・・・。




親は、
基礎、土台を作ってくれる人。


親の価値観、概念、常識を受けて、

そこから、人生が始まる。



では、その後に出会う、
教師や、先輩、上司は、なんだろう。


その人たちは、

親と同じように、
新たな概念などを与えて、
より強く縛りを加えて、

そこから、解放されて、
目覚めさせるためにいる。



つまり、
指導する、とか、アドバイスする、とかは、
実際のところ、
世界の真理から言うと、
無駄なことをやってるってことになる。



ならば、指導的立場にある人たちが、
本質的な、真理に根差して生きるには、
どうしたらいいか。

その人自身の、ほんとの自分とつながり、
この人生で叶えようとしていることに、
ただ向き合えばいいのではないだろうか。


概念や決まりで、縛られてきたのなら、
それを解放してやることが、
そう、長い間守り続けてきたことの
真逆が、

本来の、歩みたいと、望んでいた道なのだから、
そちらに向き合えばいい。

それは何も、モラルを破れと言ってるのではない。

心の在り方なのだ。




そういう、本来の在り方に生きる姿こそが、
人生の先輩として、

『次の君の、姿だよ』と、
伝えるべきこと
なのではないだろうか。


知識や教養なんて、
人間社会でしか役に立たない。

そもそも学校で習ってきたことが、
社会ですら必要のなかったものだらけだと、

多くの大人は、気づいている。


表面的、外面的な時代は、もう終わり、

内面を、心を、魂を、ほんとの私を
大切にしようと、

世界は、徐々に、うごめき始めている。



懐かしい味。

そういえば、子どもの頃、
母親が、この味を『懐かしい』と
言っていた。

母が子どもの頃、
祖母が『懐かしい味』と、言ってたのだとすると、

一番始めにこの味を『懐かしい味』
と、言い出したのは、
何代前の先祖なのだろう・・・。

と、ふと思うニヤニヤ