こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子です。

 

今回も本当に久しぶりのブログ更新となります。

前回の澤野大樹さんのインタビューは

2月17日でしたから、5か月ぶりとなります。

 

この5か月の間、澤野さんは

10回の講演会を行いながらも

深い思索の領域を旅していたのだそうです。

 

そんな多忙な澤野さんの

一段落した瞬間をキャッチし、

インタビューをすることができました。

 

さあ幕あいの時間は終わりました。

では始まりますよ。

5秒前___

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1,

それではどうぞ!

 

――澤野さん、こんにちは。

またまた久しぶりのインタビューとなりますが、

よろしくお願いいたします。

 

いやあ、またもやお久しぶりですよね。

こちらこそどうもどうも。

 

――この5か月の間、

以前にも増して活動的に見えましたが

ご自身で振り返ってみてどうですか?

 

たしかにそのとおりです。

平凡な言い方かもしれませんが

ホントに頑張ったなあって思います。

わかってくださって嬉しいです。

 

――膨大な執筆量でしたよね。

 

そうそう。

猛烈に執筆しました。

活字版の20番と21番を

ほぼ同時並行で執筆していますから

頭の中こんがらがってましたよ。

 

――原稿が完成したと思いきや、

そこからかなりストップしたりしていましたよね。

 

熟成とポリッシュが入るからです。

でもそれらは総じて私の意志じゃない。

自分でもなんで止まっているかわからない。

普通に1か月とか止まるから。

再び書き始めるのも自分の意志じゃない。

大きな動きはエスカレーターみたいに

最初っからずっと動いているの。

私はそれに足を乗せるだけ。

だけどそこに足を乗せるのに1か月とかかかる。

 

――不思議ですね。

無理にやろうとはしないということですか?

 

抗ったらダメ。

本当に不思議と自然に

ぴったり当てはまるものが

きちんとしっかりと明確に現れてくれる。

そのためには時間と

心の余裕がなきゃいけない。

急ぐと絶対にうまくいかない。

 

――ただでさえ今の世の中は

なんでもかんでも急ぎますよね。

 

コスパ、タイパを最優先とする風潮がありますけど

それはうまくいかない人を量産するためのもの。

じゃあうまく行くためにはどうしたらいい?

 

――時間とコストをきちんとかけるということですか。

 

たったそれだけよ。

コストと時間を十分にかけて創作された

工業製品でも芸術作品でも同じことで、

そうやって完成されたものは

必然的に結果として

もっとも合理的な仕上がりになるのよ。

だからコストとか時間とか

ホントは気にする必要なんかそもそもないわけ。

ここでいう「コスト」とは

金銭的なこともあるでしょうけれど、

製品や作品そのものに心を傾けるという

労力とか眼差しの度合いも多く含まれます。

でも労力とか眼差しって定量的じゃないから

人気はありませんよね。

 

――心を傾けたからといって

良い作品ができるとは限らないし、

心の傾け度合いは数値化できないですよね。

 

そのとおり。

「ひらめき」とか「直観」というものがありますよね。

それって己のレベルに相応したものしか来ないのよ。

初心者には初心者ならではのひらめきや直観が降ろされる。

 

さらに言うと「心を傾ける」と言っても

それは「我」のことではないのね。

意味わからないでしょ。

 

それは気合いとも違うし、根性でもない。

ごく自然な働き。

 

それがどれだけ「自分の作品」に注がれたか。

でも自分ではコントロールできない。

だからエスカレーターに乗るタイミングは

自分ではわからないのです。

 

――その「ごく自然な働き」が注がれるためには

どうしたらいいですか?

 

自分自身が「鏡」そのものだと認識できればいい。

QCの二次元プログラムデータを次元変換し

三次元物質ホログラム世界に「受肉」させるための

自我を超越した「鏡」であると認識すること。

 

――「認識すること」と言いましても

そのメカニズム全体を

理解しなければならないでしょうから

それは大変な作業になりますね。

それともうひとつ、

「受肉」とはどういう意味ですか?

 

己のオリジナルで創造された製品なり作品は

出来る限り「現物」に落とし込むことが必要です。

あるいは現物を伴わせるということ。

このことを私は「受肉」と言っています。

QCのデータをホログラム化させることを意味します。

「己」という鏡を通過させたという証明が

いわば「現物」という形で示されているのです。

 

――「受肉」させるといっても、

そのレベルがありますよね。

初心者の頃は拙く未熟であっても

練習を重ねることで上達していきますよね。

 

その通り。

受肉レベルを決めるのは

その人の下積みの量、反復継続の量に比例します。

天才的なピアノの才能がある子供でも

練習を重ねなければ花は開きませんから。

 

――下積みというのはとても地味で

目立たない作業の繰り返しですよね。

 

そう。

だからほとんどの人はやりたがらない。

「やりたいことだけをやりたい」って普通は逃げます。

才能はないけど注目はされたいっていう無いものねだり。

「やりたい」か「やりたくない」かを決めるのはまだ早い。

 

――下積みは承認欲求とは真逆にありますね。

 

誰にも認められない毎日が何年も続きますからね。

常人が到底やらないようなレベルにまで

到達した人の中から花開く人が現れる。

無限とも思える反復継続。

傍から見たらただの「意味不明な作業」。

 

――そのような大変な作業なんて

コスパ悪いし、タイパ最悪だとして

手っ取り早く「結論」や「結末」を求める風潮がありますよね。

映画を倍速で見たり、

物語のネタバレを先に読んだり、

いわゆる「雑巾がけ」を避ける雰囲気はたしかにあります。

 

めんどくさいもんね。

でもそれを避けてしまう流れが支配的になったがゆえに

とてつもない傑物が生まれ難くなってる。

先人の背中を見て学んでいくということが

かっこ悪く非合理的だと忌避されてしまっています。

せっかく水面下に才能が横溢しているのに。

 

――圧倒的に「敵わない」であろう先人の存在を

それでも追うということですね。

 

でもね、そんな風潮の中でも

しっかりと修行を積んでる若い人たちも

じつはたくさんいるんだろうなと私は思っています。

ちゃんとした人はきっとたくさんいる。

表だって見えはしないだけで。

この「失われた30年」を経たこの日本からでも

想像だにしないような

若きクリエイターが生まれて来ると思います。

すべてはパーフェクトですから。

 

――映画『ルックバック』を観てひっくり返りましたよ。

 

ホントそうですよね。

私も思わず受け身をとろうと

後ろを振り返りましたよ。

アニメ界にまさに革命が起きたわけですからね。

もうただただ放心状態になるしかない。

ルックバック「以前」と「以後」に

分かれてしまうくらいの衝撃度ですよね。

 

――途轍もない作品が登場してしまいました。

 

そうですね。

多くの作家が嫉妬に狂いましたが、

賞賛する以外に方法はありませんでしたから、

混沌とした異様な空気になりましたね笑

 

――時代や世を変え得るものというものが

どれほどのインパクトを与えるのかがよくわかりました。

 

しかしそれは音もたてずにやって来るよね。

そう、それはまるで「夜中に来る盗っ人のように」ね。

 

――それは下馬評とは違い、

センセーショナルとも違う登場の仕方なのですね。

 

その「存在」をきちんと気が付けるか?が大事。

そのためには人の機微についてとか、

物事のあらましや構造についてだとかに

繊細で敏感でなければならない。

その繊細さや敏感さが

精妙な「ひらめき」や「直観」を生むのだから。

 

――精度の高い「ひらめき」や「直観」を得るためには

長年にわたる不断の修練が必要なんですね。

 

このホログラム世界には

ひらめきや直観が無限に溢れているわけです。

でもその中からみんな自分に見合ったものだけを、

そして自分で理解できる範囲内のものだけを

無意識的に選択して

さらにそれが最上のものだと錯誤しているわけ。

 

――たちどころに得ることができる

「覚醒体験」というものが

いかに危険か、ということでもありますね。

 

若い時分ってのは

反射神経は鋭いけれども

洞察力や判断力が未熟なのよ。

だから交通事故件数だって

若い世代が圧倒的に多い。

 

ということは、

若い時分になんかの拍子に思わず興奮して

「これだ!」と判断し小躍りしたことのほとんどは

なんと「間違っている」可能性がきわめて高いということ。

 

人生とはその錯誤の繰り返しなわけなのだけれども、

錯誤のレベルってものは成長できるわけよ。

でも最初にそれを最上って決めちゃったら

もうその先の成長は見込めないってなっちゃう。

 

――「ネットde真実」みたいなのは危険ですね。

 

完成された「結論」「結末」に飛びつくのは

あまりに危険ですよね。

その多くが加工され絶妙に調整されて

そこに置かれてる。

 

そう、あなたは釣り堀のクチボソとして

これから釣られる立場として狙われているのです。

 

――特に最近はネット世界もそのようなもので

溢れ返っているように見受けられます。

 

みんなが思わず喜ぶような

画期的な「結論」「結末」、

あるいはとびっきりの「知られざる真実」が

どういうわけかなぜかそこに落ちてるわけですよ。

なんでだかわかる?

でも多くの人がそれを嬉々として拾ってしまう。

 

情報を高度に取り扱う者であるならば、

目の前にキラキラ光り輝く

「結論」「結末」が落ちていたとしても

絶対に拾わないでしょう。

それって「罠」だよねって。

基本だよねって。

そんなこと明々白々ですよね。

 

多くの人が初見で感動し、

パッと見で「この人だ!」とか

「これだ!」とか思ったとしたら

それって調整され制御され計算され

演出されてますよね。

基本ですよね。

 

――澤野さんの考える「情報」とは

どのようなものでしょうか?

 

「情報」っていうのは調理するものです。

早朝から市場に出向いて

断片であるいろいろな食材を厳選して仕入れ、

それらを組み合わせた上で、

己の技術とセンスで調理するわけです。

そして仕上がった状態を「料理」というでしょ。

 

――自分の力で作り上げるものなのですか?

 

いいえ、違います。

どんな料理が完成するかは本人もわからない。

 

――「すごいものを作ってやろう」とか考えたら

ダメなんでしょうね。

 

「情報」っていうのは

己の力量の度合いによって

「顕現なさる」ものであり、

「顕現される」ものなのですよ。

無地のキャンバスに突然フワっと

浮かび上がって来るものなのです。

これが「オシント」(OSINT)

 (Open Source Intelligence)の根幹ね。

 

――表に出たがっている情報も

きっとたくさんあるのでしょうね。

 

ギターでもバイオリンでも同じですよ。

楽器自身が衝撃を受けるような、

楽器自身が知らなかった弾かれ方が顕現する。

 

「私ってこんな弾かれ方できたんだ?」

「私ってこんな音が出たの?」って。

楽器が驚くのよ。

 

楽器を磨いていい子いい子してる演奏家は

「普通の演奏家」なのね。

平凡な演奏家は楽器にこだわる。

楽器にこだわっても超一流にはなれない。

 

ごくひと握りの世界トップクラスの演奏家は

楽器の方から

「ボクを弾いてください」って懇願されるの。

つまり楽器を「従えて」いるのね。

だから壊していいの。

 

平凡な演奏家は壊しちゃダメですよ。

毎日朝から晩まで楽器をピカピカに磨いて、

保険をかけておかなきゃダメ。

 

エドワード・ヴァン・ヘイレンの

あの伝説の名器「ザ・フランケンシュタイン」は

パーツショップで50ドルで投げ売りされていた

B級品のボディを元に自作されたものです。

 

それは言ってみれば

「がらくた」の寄せ集めなんですよ。

でも、そうやって自作されたギターは

「驚いて」るんですよ。

 

「楽器」が重要なんじゃないのです。

「誰が弾くか」が重要なのです。

 

これ今「楽器」でお話ししてますけれども

あらゆる分野にこれは当てはまることですよ。

 

――「楽器」自身ですら気がつかなかったような

「弾かれ方」が存在するということ。

そしてそれがじつは画期的な

「情報」だということなのですね。

 

一般的に語られる「情報」とは

懸け離れていますけどね。

その楽器から「画期的な弾かれ方」を

引き出しているかいないか。

 

残酷な言い方かもしれませんが、

それが無いのならそれは「情報」じゃない。

それは情報「のようなもの」。

 

――両者は似て非なるものですね。

 

情報「のようなもの」を基準として

物事を判断するならば

それはおそらくほぼ確実に

「間違える」わけです。

 

でもね、その決定的な「間違い」や「過ち」も、

何十年も経ってから振り返ると、

不思議と全部「それで合ってもいた」となるのよ。

 

いや、その当時は完全に確実に間違えていたのよ。

でも後々振り返るとまた違う解釈が生まれる。

 

あの過ちがあったから今があると思えるようになる。

「今振り返れば全部あれでよかったんだ」と。

「もちろん間違っていたんだけど、それでもよかった」と。

それが「量子意識」というものです。

 

世の中、無意味だったことなどひとつもなかった。

いや、「無意味と思ったけど

よく考えたら意味もあった」となる。

それでも私はだから生きて行くし行ける。

 

――まさに「ルックバック」ですね!

 

まったくの「未知」なる物事に対する

「解答」を得たいと思ったとしても、

己の潜在意識は最初からすでに

すべてを知っているわけですから。

 

ならその解答を得るための工程というものは

自分の外側のどこかを探し回ることじゃない。

じつは最初から自分の中にあった、

しかし失われていた叡智を

「取り戻す」ことですよね。

 

この働きというのは、私がよく申し上げている

「不当に奪われた地位名誉財産を

元の所有者の下に戻す働き」ということですよね。

 

これってつまり「贖(あがな)い主」のことであり、

「Redeemer」(リディーマー)のことですよね。

 

換言すれば「アラハバキ」だね。

 

つまり、高度な情報を

顕現させるための作業というのは、

己自身が「贖い主(Redeemer)」そのものであるという

姿勢、態度、認識のことなのですよ。

 

――そこで繋がって来るのですね。

 

価値の高い情報っていうのは、

素性のわからないどこか未知の

突拍子もない彼方から

人脈を駆使したりとかして

引っ張って来るものでは必ずしもない。

 

解答という「情報」を

己の外部に求めさせようとしたのが

バビロン系南ユダ勢力ですよね。

大いなるひとつ「ヤハウェ」から

自ら分離し独立した者たち。

 

だから彼らはRedeemerの存在を

血眼になって探してる。

自分たちを元に戻してくれる存在を

ずっと探し続けているわけですよ。

 

――彼らはそれを決して表に出さずに

有史以来の悲願として行動してきたんですよね。

 

人智では「覆水盆に返らず」ですからね。

人の手じゃ戻せないのよ。

彼らをヤハウェに「還す」ことのできる

プログラムはたったひとつしかないから。

 

潜在意識の中に

すでに最初からあったものの中から

お久しぶりに「顕現」させるもの。

それが「情報」というものの究極です。

 

でもみんなそれを抜きにして、

ネット上の一番目立つところに落っこちている

「結論」「結末」、あるいは「真実」に

無批判のままフリーライドしようとします。

 

純粋な動機を持って

さらに追究するという作業というのは

じつは「コストをかける」ことに近い。

 

フリーライドするということは、

一番大事な「コストをかける」ということを

無意識に的避ける習慣をつけてしまう。

でも人は得てしてその行為を隠すでしょ。

 

それはやはり本質への純粋な希求というよりも

ただみな自分だけは助かりたいという

すでに明白に前景化してしまっている

「欲」というものに

後ろめたさを持っているからでしょう。

 

私たちは本当は背景を見なきゃいけない。

その背景っていうのは

「本音」であり

「潜在意識」の領域のことです。

 

この幻想ホログラムとしての肉体なり

すべてのこの「世界」を

描写し存在せしめている

「バックグラウンド」とは何か?

ここに心を傾けるということ、

つまり眼差しを送るということ。

 

バビロン系南ユダ勢は、

この「バックグラウンド」を

とうの昔に失ったの。

 

自分たちを描写する

プログラムデータが失われているのね。

 

だからこのホログラム世界の中では

流浪の民を余儀なくされてしまって

祖国すら描かれないという状況が

もう数千年続いているわけ。

 

――だから日本が「宿主」にされて

しまっているのですよね?

 

その通りです。

だから彼らからすれば、

この列島の本当の「主」が甦って

本当の霊性が復活してしまうことを危惧してる。

だって「宿主」として使えなくなっちゃうから。

 

「満州」という「宿主」も

もう存在していませんし。

 

だから彼らのその「最終戦争」が

今起こっています。

これが「日本が最後」の本質です。

 

だから彼らはもはや

形振り構わず、

ネットで催眠術をかけてきます。

 

でも彼らが発信する

その「情報」には

「バックグラウンド」が無いのだということね。

だって自らの意志で

分離し勝手に独立しちゃったのだから。

これがこの世でもっとも重要なことのひとつ。

 

つまり、ネットの世界で、

目の前に落っこちていた

その「情報」に記されている

「結論」「結末」、あるいは「真実」は

そのどれを取っても

なんと「ニセ預言者」によるものだった

ということが、こうして

自動的に導かれていくわけです。

 

つまりそれは「Redeemer」(贖い主)

であるはずがないんだよ、ってことです。

 

――本当に自然に自動的に

導かれたことがわかります。

 

「特殊なサングラス」をかけなくても

私たちは「本質」を見抜くことが

できるようになったのです。

 

――「肉眼」で彼らを

確認することができるということですね?

 

そうそうできる。

こうして私たち人類は

これまで不当に奪われ、封印されてきた

「新しい哲学」というものを

「取り戻して」いくのです。

 

ならば、今私がこうやって話していること。

つまりこのエスカレーターは

おそらく「合ってる」だろうということも

自動的にわかってくる。

これこそが「情報」というものではないですか。

 

――これまで一度も見たことも

聞いたこともないお話しですね。

私たちは「情報」というものを軽んじて来たかもしれません。

それはこれまで本物の情報というものが

不当に奪われ、封印されてきたからなのですね。

 

そうです。

だから閉じちゃダメなの。

有史以来、

バビロン系カバール空海らによって

これまで散々、閉じられ、封印され

隠され続けて来たわけでしょ。

 

だからこれからはそれらを

徹底的に「解放」していくことが

何よりも重要な作業となってくるわけです。

この作業を行うこと、あるいは者のことを

「Redeemer」というのです。

 

そしてその「Redeemer」の「復活」は

明らかに異彩を放つ

桁違いの「情報」がすぐ横を

ぴったりと並走しながら

顕現するはずです。

 

――壮大なドラマの、

しかもクライマックスが近いということですか?

 

シンプルに言えばそういうことです。

しかもそれらは「小」「中」「大」と、

フラクタルに波及し展開しますから、

この「日本」の「鏡の度合い」を目撃する

当該ホログラム史上初の体験となると思います。

 

――まさに「どんだんず~?」ですね。

 

ホントそうですね。

これを「至上の愉悦」とするか、

それとも「最悪の地獄」とするかは

まさに「人それぞれ」です。

 

これはメカニズムのうちの

ごく狭い一局面の提示なのですよ。

そこに個人的な「感情」は一切無いわけです。

 

――澤野さん、紙幅の関係で

そろそろお時間となってしまいます。

この続きはまた次回のお楽しみということで

よろしいでしょうか?

 

もうそんなになりますか。

本来ならば久しぶりのインタビューですし、

直近の都知事選について

お話ししようと思っていましたが、

毎度のことながらかなり脱線してしまいましたね。

 

でも、頭の片隅に5%くらい

都知事選のことは置いてありましたので、

じつは今日の内容は都知事選への

コメントも「兼ねて」いるんじゃないですか?

 

――全編に亘ってメタファーとして

成立していたとなると

それは只事ではありませんね。

 

「名目」と「実質」ってやつですね。

 

――でも振り返ってみれば

たしかにそうだったかもしれません!

 

でも今日の内容をお話しできてよかったです。

通常の私だったらこういう内容は

なかなか出て来ませんから。

だから小野さんに本当に感謝です。

 

――なんもなんも。

今回も桁違いのお話しでびっくりしました。

 

いがったいがったイガメンツィ。

 

私たちは今、過去の残滓を

どう捉え、どう解釈し、どう受容し、

どう処理してくのかが

水面下でじつは問われています。

 

目の前に起こる

あらゆる「現実」には、

「バックグラウンド」が重なって

もつれていることがわかってきました。

 

これはQCがわざと見せている

「この世の綻(ほころ)び」です。

 

この両者を同時に重ねて

しかもその両者を混ぜることなく

同時に並行して意識できるようになること。

これが「量子意識」です。

 

「白と黒」でも「光と闇」でもいい。

「過去と未来」でもいい。

 

それは「中庸」を取ることではないですよ。

両極端を同時並行で意識すること。

「真ん中」とは全然違う。

 

私の言う「新しい哲学」とは、

これまで封印され閉じられてきた

潜在意識領域から

浮き彫りとされるものなのです。

 

つまり、

「最も古い哲学」であり、

「最も新しい哲学」でもあるということ。

 

これが「量子意識」ね。

 

――ありそうでなかった哲学であり、

なさそうであった哲学でもあるわけですね。

 

いいですねそれ!

あ、毎度のことではありますが、

青森活字版「20番原稿」ができました。

 

 

――今回はかなり熟成されましたよね。

 

いやなんだかよくわからないけれど

この時期にまでなってしまった。

自分でもわからないのですが

「やっと出せた」という気分です。

 

――タイトルは決まりましたか?

 

『憑依する帝国』です。

前号「19番」の続きになります。

よろしくお願いいたします。

 

――ついに青森20作目となりましたね。

 

小野さんのおかげ以外の

何ものでもありません。

私ひとりでは何ひとつできませんから。

本当にありがとうございます。

(澤野大樹)

 

――澤野さん、こちらこそありがとうございました!

 

 

 

5か月ぶりとなりました

今回のインタビューでしたが

みなさん、いかがだったでしょうか?

 

本編に収録することができなかった

部分もたくさんあります。

 

かなり長時間に亘る

インタビューとなりましたので、

続きはまた次回ということにいたします。

 

2024年は想像を超える猛暑となり、

都知事選があって、そして

9月の自民党総裁選挙が控え、、

そして11月5日には米国大統領選があり、

そして衆議院解散総選挙はどうなるか?

 

2024年の後半は

何が起こるかわからないという

これまで経験したことのないような

緊迫した半年間になりそうな気配です。

 

そんな中、

澤野さんは様々な角度から

驚天動地の論説を

常に発信されています。

ザワザワ、ハカハカしっ放しの

三次元ホログラム世界です。

 

気が付けば世の中も様変わりしてきました。

カオス化しているように見えながら

整ってきているのだと思います。

これからも決して没入することなく、

楽しんでいきたいと思います。

今回もありがとうございました。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子

 

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活字版原稿の御用命は、

こちらのお申込フォームより

お願いいたします。

 

NEW! →講師ブログ更新(2024/7/15)

 

《青森活字版原稿をお求めの方へ》

「活字版原稿」は①からストーリーがずっと繋がって続いています。

順番に読んで行かないと理解できないどころか曲解し100%間違えます。

ですのでぜひ①からゆっくり時間をかけて

順番に読み進んで行ってください。(澤野大樹)

 

『活字版原稿』は、
■澤野氏が自分の講演会のために実際に用意した個人的な原稿です。
■講演会用に作成した講義内容が100%精妙に活字化されたものでレジュメではございません。講演会録でもなく、テキストでもなく、当日のためだけに書き下ろされた「生原稿」です。
■澤野氏から湧き出た直観のまま、できる限り手を加えることなく敢えて青森という「鏡」をとおして自然な形で残せるよう講師は努めております。

■毎回量は違いますが、A4版30ページから50ページくらいの簡易冊子形式となっております。

 

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※講演会でもアナウンスしておりますが、活字版原稿・講演会の内容はネタバレNGです。

SNSやYoutube、ブログ等にその内容をアップロード、引用・転載することはご遠慮ください。

同様に当ブログにつきましても本文のスクショ・コピペ、内容の自己解説、当方とは無関係のイベントや物販、他リンク併用アップロードはご遠慮ください。

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※活字版原稿の不正コピー、無断複製品を販売している人がいました。

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澤野大樹氏公式サイトINTUITION

 

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