父の死とその後
父が死んでから3週間がたつ
一日のうち大半は、悲しみを感じることなく過ごせる。
あまり現実感を持たずに過ごせるのだ。
ただ、それは防衛本能かもしれない。
僕の中の何かが、無意識のうちに父の死を頭の中の隅っこにおいやって、
バランスをとろうとしているのだと思う。
それでも、ふと声をあげて泣きたくなるときがある。
これまで経験したことのない悲しさだ。
絶望や無力感、そして愛情がぐしゃぐしゃになった感情が
のどを締め付けるのだ。
父が死んでから、自分の死を身近に感じるようになった。
自分は後何年生きられるのだろうか?
父と同じように癌で死ぬのだろうか?
ちゃんと家庭を築いてから死ねるだろうか?
とても怖くなる。そして自分が信じられなくなる。
死という現実に対して、自分が呆れるくらい小さいことが見えてしまうからだ。
こうしてブログを書くのは、そんな恐怖を少しでもやわらげるためかもしれない。
こうやって気持ちを形にすることで、自分の存在を確かめたいからかもしれない。
いずれにしても、こうしておかないと、自分がバラバラになってしまうか、
どこか遠くに飛ばされてしまうような気がするのだ。
僕は今26だ。
あと何年生きられるだろう
一日のうち大半は、悲しみを感じることなく過ごせる。
あまり現実感を持たずに過ごせるのだ。
ただ、それは防衛本能かもしれない。
僕の中の何かが、無意識のうちに父の死を頭の中の隅っこにおいやって、
バランスをとろうとしているのだと思う。
それでも、ふと声をあげて泣きたくなるときがある。
これまで経験したことのない悲しさだ。
絶望や無力感、そして愛情がぐしゃぐしゃになった感情が
のどを締め付けるのだ。
父が死んでから、自分の死を身近に感じるようになった。
自分は後何年生きられるのだろうか?
父と同じように癌で死ぬのだろうか?
ちゃんと家庭を築いてから死ねるだろうか?
とても怖くなる。そして自分が信じられなくなる。
死という現実に対して、自分が呆れるくらい小さいことが見えてしまうからだ。
こうしてブログを書くのは、そんな恐怖を少しでもやわらげるためかもしれない。
こうやって気持ちを形にすることで、自分の存在を確かめたいからかもしれない。
いずれにしても、こうしておかないと、自分がバラバラになってしまうか、
どこか遠くに飛ばされてしまうような気がするのだ。
僕は今26だ。
あと何年生きられるだろう