どちらも板挟みでしょう。

 

何のなぞかけにもなっていないのだけど。ちょっと上手いなって思った人はいいねしてください。下手だなと思ったらフォローしてください。興味ねーわって人もフォローしてください。

 

こんな時期にブログを始めたとは何事ぞ!?と思われる方も多いかもしれない。でもまぁ、こんな時期だからこそ始めたとも言う。暇なのだ。

 

さて2020年4月18日現在、世界では新型コロナウイルスが蔓延している。

2019年末に中国武漢で確認されたこのウイルスは瞬く間に世界に広がり、4か月後には世界で感染者を225万人に広げた。死者は15万人を超えたところである。

 

日本においても感染者は日に日に増え、1万人を超え、死者においては250人に迫っている。ある大学の研究では22年まで外出自粛が必要なのではないかと言われているという。

 

さて、緊急事態宣言が発令され外出自粛を求められている今、多くの人は家にこもってフラストレーションが溜まり、中には体調を崩す人もいるだろう。

 

しかし折角だから家族そろってスマホなんて眺めてないで身近な人とのかかわりに目をうつしてみてはどうだろう。コミュニケーションの大事さを再認識したり、家族が普段家で何をしているのか把握するチャンスだと思う。

時間の止まった外の世界が動き出すのはいつなのかわからない。

しかし、代わりに今一度身近な世界に目を向けて、家族に感謝の念を伝えられたら良いのではないかと思う。

90年代に放送されたドラマのタイトルである。
ご存知の方も多いだろうが「渡る世間に鬼はなし」ということわざをもじっている。

小学校の鬼教師に言われて授業よりも記憶に残っているのがこの言葉である。言う人が言う人なので当時の僕は、「あぁ、大人になったらこんな怖い人がいっぱいいるんだな。」などと考えていた。

 

ちなみに、この言葉の意味について番組プロデューサーの石井ふく子は、【相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと、自分が鬼でなかったら相手のことも鬼だと思わない】としていたのは今ブログを書き始めて知ったなどとは言えない。

これをふまえると、当の本人は自分のことを鬼だと思われていることを皮肉ったのだろうが、半分以上の生徒には誤解を生んでいた事だろう。

 

 

少し話はズレたが、僕がここに書きたいのは渡る世間に鬼はなしという言葉の意味についてだ。故事ことわざ辞典では以下のように述べられていた。

 

【世の中には無慈悲な人ばかりではなく、親切な人もいるということ。】

 

ある人は期待しすぎだ。とか、そんなわけがない。などと言うかもしれない。確かに、今のこの世の中は殺伐とし、人の親切心が埋もれてしまって親切な心の存在がかすんでいると私は思う。

 

ところで、結婚後に旦那が変わったなんて話をよく聞く。結婚するカップルですらお互いがどのような人間なのか完璧に知ることはできないのだから、赤の他人がちょっとやそっと会話したくらいで人間の善悪を判断できるほど我々は全知全能であるはずがない。

 

確かに我々は先入観やステレオ対ぴに基づいて物事を見がちである。しかし、何事においても本質を見出そうとしなければ良い結果は望めないと私は思う。渡る世間が鬼ばかりなのかは、渡ってみなければわからない。変化のない世界に進化ない。

 

世の中には確かに無慈悲な人もいるだろうが、まったくすべての人がそのようなわけではないだろう。人の温かさを忘れることのないよう、人の親切心に敏感に生きていきたい。

実は僕、釣りが好きなんです。

小学校くらいから父親に釣りに連れて行ってもらって幅広くいろいろな釣りをしてきたような気がします。どれも中途半端ではありますが…

 

そんな私が最近ハマっている釣りの一つが渓流のルアー釣りなんですね。普段ライトショアジギングがメインの私は、偉そうにちょっとテクニカルな釣りがしたいなァなどと抜かして始めたわけですが、それがもう楽しいこと。

 

 

とある雪解け水注ぐ渓流にて先日釣った27cmのイワナなのですが、ほんまに綺麗でかっこいい魚体でした。ほかにも20㎝台が何匹か連れましたが感謝とともに川へお返ししました。この子だけはキープさせてもらいましたが…。

 

渓流の自然と水の音や冷たさを全身で感じながらする釣りは本当に最高です。もちろん、見事にルアーのコースやアクションが的中した時はもっと楽しいです。あとね、魚がルアーを追ってくるワクワクねwいや~、最高w

この日のルアーはDcompact38のクロキンでした。

 

あ、そうそう。渓流釣りで何が一番いいって片付けが楽なんですよね()