90年代に放送されたドラマのタイトルである。
ご存知の方も多いだろうが「渡る世間に鬼はなし」ということわざをもじっている。

小学校の鬼教師に言われて授業よりも記憶に残っているのがこの言葉である。言う人が言う人なので当時の僕は、「あぁ、大人になったらこんな怖い人がいっぱいいるんだな。」などと考えていた。

 

ちなみに、この言葉の意味について番組プロデューサーの石井ふく子は、【相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと、自分が鬼でなかったら相手のことも鬼だと思わない】としていたのは今ブログを書き始めて知ったなどとは言えない。

これをふまえると、当の本人は自分のことを鬼だと思われていることを皮肉ったのだろうが、半分以上の生徒には誤解を生んでいた事だろう。

 

 

少し話はズレたが、僕がここに書きたいのは渡る世間に鬼はなしという言葉の意味についてだ。故事ことわざ辞典では以下のように述べられていた。

 

【世の中には無慈悲な人ばかりではなく、親切な人もいるということ。】

 

ある人は期待しすぎだ。とか、そんなわけがない。などと言うかもしれない。確かに、今のこの世の中は殺伐とし、人の親切心が埋もれてしまって親切な心の存在がかすんでいると私は思う。

 

ところで、結婚後に旦那が変わったなんて話をよく聞く。結婚するカップルですらお互いがどのような人間なのか完璧に知ることはできないのだから、赤の他人がちょっとやそっと会話したくらいで人間の善悪を判断できるほど我々は全知全能であるはずがない。

 

確かに我々は先入観やステレオ対ぴに基づいて物事を見がちである。しかし、何事においても本質を見出そうとしなければ良い結果は望めないと私は思う。渡る世間が鬼ばかりなのかは、渡ってみなければわからない。変化のない世界に進化ない。

 

世の中には確かに無慈悲な人もいるだろうが、まったくすべての人がそのようなわけではないだろう。人の温かさを忘れることのないよう、人の親切心に敏感に生きていきたい。