1 主題
(長期)受刑者について
2 概要
・ とりわけ長期受刑者(いわゆるLB囚)が受刑しても、本来望まれるような効果はほとんどあげられていないため、矯正のアプローチの仕方を変える必要がある。
・ 刑務所の処遇は、新法の施工後自由度が高くなり、「人権インフレ」を促進させるような効果を与えている側面がある。
・ 懲役囚の中にも、まともな人格を持った人物もいる。しかし、これらのものはそれなりの確信をもって犯罪を行っているため、収容という方法自体の有効性は疑問
3 感想
我々の社会では、法を犯し、有罪と認められれば「懲役〇年」と裁判所で判決が下さることになり、刑務所に収容されることになる。本書は、その刑務所の内容・実態を我々に知らせるとともに、収容者をどう扱うべきかという刑事政策的な部分にまで踏み込んだ著作である。
まず、読み始めて思うのは作者の知的水準の高さではないかと思う。
私自身、「刑務所にこんな人間がいるのか」という感想を最初の数ページで思うほど圧倒的な知識量と、事物の観察力が鋭さ・整理力の高さが目につく。
読み終えてまず思ったのは、懲役判決を出して刑務所に送る意味であった。
刑務所に送り、一定期間社会から隔離することは、その者が犯罪を行わない、誘わない、という意味での効果は認められるだろうし、いわゆる一般予防の点でも一定の意味はあるのだろう。
しかし、より高い効果、法務省が掲げるような「矯正」という目的を果たせているのかは非常に疑問であろう。
作者によれば、LB囚らは、「ただひたすら欲望するだけの生きんとする意志」であるものがほとんどであるという。
そして、彼らにとって刑務所にいることは特段遵法精神を涵養するような場所ではなく、むしろ自分の行為が相対化される場所でしかない場合が多いともいう。(「周りの怠惰な仲間や倫理観のなさがいつしか人を変えてしまい、犯罪は大したことではないという錯覚に陥り、悪事をしているという意識がなくなる」)
強盗致傷等重大な犯罪を仮に犯したとしても、刑務所、とくに長期に行けばそれを上回る犯罪者がうじゃうじゃといるわけだからこれは当然だろう。
そして社会情勢の変化の中で、刑務所での生活が相対的に対して厳しいものではなくなってしまって(むしろ好待遇)いる状況が作出されていることも、この問題を増長させているように思う。
作者はこれに対して簡単ではあるが解決案を提示しているが、ここでは略する。
話は変わるが、作者が犯罪者の特徴を類型化している。
その中で、犯罪者は写真を持っている人が少ないということがあげられている。
作者の分析によれば、普段公言している社会での生活ぶりにうそがあるため、写真を見せられないのではないか、ということがあげられているが、これはあながち間違いではないのではないかと思う。
自身の体験に照らしても同意できるからだ。
それから、原始的な通貨の発生経過、というものも刑務所の中ではみられるらしい。こういう点でも本書は好奇心をそそられる。
いずれにせよ、普段なんとなく持っている疑問に対して正面から向き合わさせてくれる、という点で非常に良書であると思う。
キーワード
ドグマ エゴ 写真がない 悪党ランド
「人は自分のまいたものを自分で刈り取ることになる」(新約聖書「ガラテア人への手紙」)
「自分の全力を出しつくし、ほとんど自己の意識がなくなり、自己が自己の意識せざるところにはじめて真の人格を見る」(西田幾太郎(哲学者))
「ただひたすら欲望するだけの生きんとする意志」(ショウペンハウエル)
4 評価
(5段階評価)4
