Shigeru Eguchi 'Still a long way to go' -16ページ目

Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

アートや制作や活動のあれこれをお知らせいたします( ´ ▽ ` )ノ

「この村で平凡に暮らしてきたから、なんぞ珍しい話があったら聴かせておくれ」

と読んだ漫画のセリフ。
旅人に話を請う場面をたびたびみかける。

今は今までになく行動範囲が狭い状況だけれども
昭和の半ばまでそんな遠方にまでほいほい行けなかったはずた、と思った。

江戸の富士登山や伊勢参りも町や村の代表がいったもので、一生ものだったと聞く。

ある推理小説でも戦後、他所から京都に捜査にきた刑事が「めったに来られんとこだからいもぼうでも食ってくか」と嬉々として言ったりしていた。

私の親の代の新婚旅行も熱海などとよく聞く。

一年の間、東京から他所へも、武蔵野の地から都心へも、それどころかほぼ市内近隣しか移動していないことに、限られた範囲で生活する時代を思うことが多くなった。

一人でもウェブ、テレビ、ラジオ、雑誌媒体で過剰なほど取得できてしまうから情報が多い現在では人に話を請うことも少ない、と思っていたが狭い市や町の自前教室はもとより、地元のお店に顔を出すようになり、話とはいかないまでも人との会話やつながりが「あたりまえ」でなく「有難い」ものなのをしみじみ感じる。

生来のひとり時間好きも一人と孤独は別物で、「旅人の珍しい話が楽しい、聴きたい環境、時間感覚」に憧れを抱いたりする。

昔島旅したのも、島のおばあや宿の人、訳あり旅人と束の間の「珍しい話」を聴くのが旅の楽しみだった。
(人見知りもあるし、あまり多人数の中には未だ入り方や立ち位置がわからない、だからスポーツもチームより陸上とかの個人種目が好きだった。かといって仕事などで皆で手分けしてなし得る嬉しさも知ってはいる)

だから、教室でも地元商店でも人の「あたり」が少し柔らかく感じる。

言霊と言霊のやりとりと言ったら飛躍しすぎかと思うが、「生きているだけで大丈夫ですよ」と癒しか諭されてるのか悟りかいいようがないが、人の生きてる背景が見え隠れする一言が妙な力をもっているなあ、と感じる昨今です。

とまあ。うろんでうつつな夜中の覚え書きでございました。(๑╹ω╹๑ )