え?鈴木都知事って?

まだ、生まれていませんでした。

 

と言われてしまいそうですが~

 

80歳で東京都知事の候補で出た、

当時現職の鈴木俊一氏。

 

何人もの候補者が立候補する中、

 

見事当選されたのです。

 

まさか、当選するとは思っていなかったので、

驚いた(というか、政治への不信感が強くなった)中の一人です。

85歳まで東京都知事を務められました。

 

バイデン大統領は、81歳で、

85歳までですね。

 

とはいえ、

東京都知事と

アメリカ合衆国大統領では、

職務も重みも違いますね。

 

NATOサミットにでたり、

海外を飛び回って、各国首脳に会ったり、

一国、世界を担う、

わけですものね。

 

 

鈴木俊一 (東京都知事) - Wikipedia

 

 

1991年東京都知事選挙に際しては、自民党は小沢一郎幹事長の主導により4選を目指す鈴木を推薦せず、元NHK記者の磯村尚徳を擁立する。当時、自民党は参議院で過半数を割り込んでおり、ねじれ国会の運営を円滑に進めるためには、公明党の協力が不可欠であったが、当時自党に80歳定年制のルールを敷いていた公明党が当時80歳の鈴木の推薦に難色を示したため、利害が一致した自民・公明2党は磯村の擁立を強行し、民社党本部も磯村を推薦する。

しかし、鈴木都政を支えてきた粕谷茂ら自民党東京都連の幹部は、党執行部による一方的な決定に猛反発し、鈴木も自民・民社都連の推薦で4選出馬を決断する。また鈴木は田英夫ら、中道・リベラル派からの支持も受け、首都・東京の知事を選ぶ選挙戦で党本部・都連が別々の候補者を推薦する異例の事態に発展した。都知事選には鈴木、磯村、日本共産党推薦の畑田重夫日本社会党推薦の大原光憲のほか、無所属の内田裕也浜田マキ子中松義郎泡沫候補が次々に出馬し、総勢16人で争われた。鈴木は高齢批判に対して有権者の前で立位体前屈をして見せて若さをアピールし、磯村は銭湯で高齢者の背中を流す、なりふりかまわぬパフォーマンス合戦が繰り広げられたが、結果、反鈴木票の分散に乗じて鈴木が4選を果たし、磯村擁立を主導した小沢一郎は幹事長を辞任に追い込まれた。選挙後、東京都議会では日本社会党が知事与党に加わり、4期目は事実上のオール与党体制で都政運営を行った。

4期目では1991年1月に郵政省から東京都域のUHFテレビ放送用として新チャンネルが割り当てられたことを受け、東京商工会議所などと共同で東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)を設立。開局に向けた調整などにあたった[13][14][15]。しかし、このころに発生したバブル崩壊の影響もあり、鈴木都政4期目で財政はさらに悪化。鈴木が5選不出馬を表明した1995年東京都知事選挙では、ながらく内閣官房副長官を務めた石原信雄が鈴木都政の継承を訴え出馬したが、経営コンサルタント大前研一や前出雲市長の岩國哲人、社会党を離党した元衆議院議員上田哲、前参議院議員青島幸男ら有力候補が次々に立候補。反権力、リベラルなイメージの強い青島が、元エリート官僚の石原らを破り、圧勝した。鈴木が4期目に開催を計画していた世界都市博覧会1995年(平成7年)の都知事選で争点化し、後任の青島知事により中止が決定された。鈴木は同年起きた地下鉄サリン事件を引き合いに出し、「都政にサリンをばら撒かれたようだ」と発言し、各方面から非難を受けた。