メアトルメンタプロペラーテ
全然知らない曲でしたが、
はじめて聞いた瞬間からすごく良い❗
カウンターテナーのオルリンスキーの美声よ!






「我が苦しみよ、急げ・・・
私は十字架を求める、
私を礫刑もせよ」
メア トルメンタ プロペラーテ
ペテロの殉教の歌です。
歌詞から来るものなのか、この曲を絶望とか狂気、悲惨と
イメージしている方をちらほらお見かけしたので、
ちょこっと書きたくなりました。
ちょこっととかいって、長いし(笑)
退屈だったら読まなくていいですよ~
ローマ帝国ー時の皇帝は暴君で知られるネロ。
ローマは、キリスト教徒を激しく迫害していて、
多くの信者が酷く残忍な方法で殺されていました。
しかも、その処刑の有様は、円形競技場などで
群衆の見世物として行われていたのです。
ペテロの殉教(信仰のために殺される)は、
逆さ十字架の刑によるものでした。
ほんとは、十字架刑だったのですが、
ペテロは師のイエスと同じでは恐れ多いと
自らもっと辛い逆さ十字架を望んだのです。
殉教は、苦痛を伴う死ですが、
キリスト教徒にとっては、暴君に屈せず信念を貫き通したという証であり、
敗北や絶望ではありませんでした。
処刑場に曳かれて行くキリスト教徒たちは、取り乱すことなく
穏やかで静かな佇まいをしており、見物人の中には心動かされて
改宗する者も出てきました。
ーー人に知られていないようであるが認められ、
死にかかっているようであるが、見よ、生きており、
悲しんでいるようであるが常に喜んでおり、
貧しいようであるが多くの人を富ませ、
何も持たないようであるがすべての物をもっているーー
(第二コリント6章9、10)
こうして、迫害されても迫害されてもキリスト教徒は増えていって
ついには後のローマ皇帝の心も動かし、
キリスト教はローマの国教となったのです。
ペテロやパウロの殉教は、来るべき勝利(キリスト教にとっての)
のさきがけとなったのです。
ペテロは、苦痛にあえぎながらも
胸には未来への希望を信じる喜びがありました。
だから、メアトル(省略~)は、
苦しみの詩ではありますが、
絶望や狂気ではなく、希望と喜びの詩でもあるんです。
ステファンは、何故この曲を選んだのか?
もしかしてウクライナになぞらえている??
色んな選手に振り付けしてるのに、どうして昌磨君に?
なんて、単にこの曲が好きだからだったりして・・・
ステファンのインタビュー聞きたいなあ