2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件。


あれから10年の月日が流れました。


2001年に大学を卒業し、会社に就職した私にとって、この10年は社会人としての歩みそのものでもあります。


当時、世界貿易センタービルの崩壊を自室のテレビで見ていた私は、あまりにも想像を絶する光景に現実の出来事として捉えられなかったという記憶があります。


世界に衝撃を与えたあの出来事によって、多くの人の人生が変わったと思います。


しかし、私自身は何が変わったんだろう?


この10年の間に人間的に成長したと胸を張って言えるのだろうか?


10年前の方が、新社会人として、今より何事にも意欲的だった自分がいたのではないだろうか?


そう思うと、これからの10年、20年、そして私の人生そのものにすら、希望が持てなくなりそうになります。


でも、この無差別テロによって犠牲となった3,000人近くの人は、こんなことすら考えられず無念の死を遂げている。


生きてこんなことを考えられる自分が今日もここにいる。


これだけでも今の自分には十分なことなのかもしれません。


私が住んでいる北海道第4区選出の鉢呂吉雄衆議院議員が経済産業大臣の辞職を表明した。


私は地元選出の代議士として、震災復興に関係する重責での活躍を期待していただけに、大変残念な出来事だ。


しかし、今回の辞任劇、鉢呂経産相の脇の甘さはあったのかもしれないが、松本龍復興担当相の失言問題での辞任などとは、ちょっと意味合いが違うのではないかと私は感じている。


まず、「死の街」発言については、一部の被災者の方々がその言葉で不快な思いをされているのだから、やはりもっと慎重に言葉を選んで発言した方が良かったと思うが、実際、福島第一原発周辺で放射能に汚染された立入制限区域は、まさに「死の街」以外の何ものでもないはずである。


そして、「放射能なすりつけ」については、オフレコの場での記者との会話にもかかわらず、正確なやりとりの流れもわからないまま、ただ、言動だけが独り歩きしているような気がしている。


この手の話は、どうも報道している側に明らかな意図があるように感じてしまう。


鉢呂氏が大臣の座から去ると誰が得をするか。


そういう視点でこのニュースをみると、別の何かが浮かび上がってくるのではないだろうか。


しかし、鈴木宗男といい、中川昭一といい、鳩山由紀夫といい、もっと活躍してもらいたい北海道選出の代議士が、力を発揮しきれずに終わってしまうというのは、本当に残念でならない。