「どうやらすぐそこまで来ているらしい」

乾いたくちびるが音をたてた。
所在なさげににじむ血を舌で舐めとりながら、その言葉をきいた。

「すぐそこまで?」
「すぐそこだ」

言われてはじめて耳をすますのだが、足音もなければ空気の揺れるのも感じない。
万が一にすぐそこまで来ているものが幽霊だったとしたらコトだが、
生まれてこのかた、そのたぐいのものに遭遇した経験もないので
ぼくにとっては河童やツチノコと変わらない、物語の中だけで生きる(生きてはいないけれど)存在だ。

「いったいなにが」
「・・・」
「ねえ」
「しっ」

もっともらしく人差し指をくちびるに添え、ぼくを睨んでいる。
三白眼ぎみの大きな目をぎょろりと動かして、ゆっくりとまばたきをし、それからため息。

「ほら、きみがうるさいから」
「どういうこと」
「わからないなら黙って」

理不尽な言葉にがくぜんとしながらぼくはまた煙草に火をつける。
どれくらいの間ここに立っているのか定かではないが、
足元に転がった吸いがらを見るとすくなくとも2時間は経っているようだ。
幕を引いたような暗闇で、きみの横顔をてらすオレンジの火種。
息を吸って、吐いて、何度目かの質問を飲みこむ。

いったいぼくらは何を待っているんだ?