家族の思い出
ブログで家族について書く時、問題のある点ばかり書いている。
父の暴力や、母のネグレクト。
両親が僕ら兄弟にお金を掛けなかった事。
僕の妹への暴力。
両親の教育への無関心。
確かに僕の家族には多くの問題があったと思う。
ただ、単純に愛情のない冷めた家庭だったかといえばそうでもなかった。
家族の良い思い出を書いてみたい。
僕ら家族は車の中で大きな声で歌を唄った。
カーステレオが十分じゃない時代に大声でアカペラで歌を唄っていた。
全員で一斉にというより、それぞれ交代で順番に歌を唄っていた。
僕は大人になった今も車で大声で歌を唄うのが好きだ。
僕ら家族はゲームをした。
初めは僕が誕生日に買ったドンジャラだったと思う。
僕が買ってもらったのはキン肉マンのドンジャラで牌に初期のキン肉マンのキャラクターが描かれていた。
毎晩食事の後、卓を囲みドンジャラを何ゲームもした。
1~10までの牌を集めると上がる手は簡単すぎて途中から禁じ手となった。
子供だった妹は欲しい数字の順番を空けることで何の数字の牌が欲しいのか丸わかりだった事を覚えている。
その次にしたのがウノだ。
父親が会社帰りに買ってきて説明書を読み僕らにルールを教えてくれた。
毎晩何度もやり僕らは夜な夜なウノを楽しんだ。
僕ら子供たちがゲームに飽きて止めようとすると、お小遣いをあげるからと言って続けさせることもあった。
幼い頃に父親を亡くした僕の父は子供と遊ぶことが本当に好きだったんだと思う。
僕らは一緒に映画を観た。
僕に映画の趣味を教えてくれたのは父親だった。
まだ字幕を読めないうちから僕ら兄弟を洋画を観るために映画館に連れて行ってくれた。
毎年元旦の映画の日に映画館に行くのが僕ら家族の習慣だった。
85年の正月にゴーストバスターズを観たかったが、グレムリンを選んだ父親にはガッカリした。
大きくなるにつれて映画館に連れて行ってくれることは少なくなったが、出始めのレンタルビデオショップでビデオを借りてくれて、部屋を暗くし小さなブラウン管テレビで映画を観るのが楽しみだった。
僕が今も沢山映画を観続けるのは父親が作ってくれた趣味のおかげだ。
僕らは山に登った。
本格的な登山ではないが僕らはよく山登りをした。
日帰りできる山を僕らは沢山登った。
晩年の父はひたすら山を登りたいんだよというようになった。
やれば嫌いではないがトイレが心配になり登山は僕の趣味にはならなかった。
僕らは誕生日を祝った。
子供の頃、僕らは両親の誕生日会を開いた。
僕が司会をし、考えた式次第を読み会を進行した。
プレゼントは手作りのもので、僕は母親に、妹は父親にそれぞれプレゼントを渡した。
大きな声でハッピーバースデーをみんなで唄った。
地味なイベントだったが温かい思い出だ。
こう書いていると僕の子供時代もそんなに悪くなかったと思えてくる。
どんな家族にも良い面と悪い面があるもんだ。
良い面に目を向ければ割と良い家族だったとも思える