映画「君が世界のはじまり」
僕は別府市の隣の日出町の出身で小学2年生から高校を卒業するまでそこで育った。
特に都会に行きたいなんて思っていなかったが、病気遺児を支援するあしなが育英会で奨学金を借り、東京の高尾で月に5千円で寮に入れるということから、関東での進学を母親に勧められた。
大学受験が失敗したら中国へ留学するという話が進んでいたし、大学受験に焦って臨まなかったが推薦で埼玉の大学に進学が決まった。
あしなが育英会は主に交通遺児を支援する組織で病気遺児の僕は寮には入れなかった。
大学の近くの町でボロいアパートを借りて、大学4年間と社会人の1年目を過ごした。
僕が高校生の頃はまだ地方と首都圏には文化の隔たりが大きくあり、埼玉の田舎の大学でもカルチャーショックをかなり受けた。
僕はあまり都会に出たいとか大分を離れたいという希望はなかったけど、当時は都会に出て何かを成し遂げたいだとか、都会に出れば何かが叶うなんて考えは横行していたと思う。
僕が大学生の時にインターネットが普及し始めた。
授業中にエロサイトを覗く奴がいるような大らかな時代で僕らはインターネットに親しんだ。
病気で27歳の時に別府に帰った時、僕は都落ちした気分で一杯だった。
別府は何もない田舎に感じたし、このままここで燻るのは嫌だなと強く感じ再び東京に引っ越した。
32~33歳の時に病気で無理やり大分に連れ戻された。
その時の僕はもう大分に戻るしかなかったし、また東京に出ようとは思わなかった。
スマホを使うようになり、いつでもインターネットに繋がるようになった。
世界は狭くなったし、定住した別府も面白い町だと思うようになった。
良い会社に就職し、自由に働き残業もない。
遅刻や早退も許されるし、有給も100%取得できる。
映画館で年間200本を超える映画を見るようになった。
懇意にしているアメリカ在住の映画監督・光武さんにそれは恵まれた映画環境ですよと褒められた。
温泉にも気が向いた時に好きなだけ入れる。
僕にとっての今の別府は桃源郷のようだ。
都会との隔たりも感じなくなった。
比べれば格段に選択肢は少ないが、その分様々なストレスもない。
国際結婚も果たし、別府にいても何でもできるような気がしている。
もし、高校卒業時に上京しなかったらもっと幅の狭い人生だったかもしれない。
この映画は関西の地方の町に住む高校生たちの物語だ。
閉鎖される予定のショッピングモールが生活の中心のような狭い世界に住む彼らは恋に悩み、家族の事で悩み、抜け出せない閉塞感に悩んでいる。
彼らは同じ高校に通い交差する。
大人になれば解決できそうな多くの悩みが彼らには解決できない。
自分たちが観ている視点が狭いのだ。
その視点を狭くしているのは彼らの生活環境の狭さかもしれないし、単に若いだけかもしれない。
ふくだももこ監督は主演の松本穂香と前作に引き続きこの映画でもタッグを組んだ。
前作の「おいしい生活」では同じ地方でも自然豊かで開放的な島での話だった。
その開放感がもたらすのか登場人物たちは非常に自由な発想を持っていて観ていて気持ちが良かった。
今回は対極的な映画だが、僕は今回の方が好きだった。
鬱々とした生活の中で溜まったものが一気に解放され爆発する瞬間が爽快だった。
名作「台風クラブ」を思わせるような青春の輝きがあった。
僕は高校時代に学校を退学してしまった彼女のユミちゃんや、バイト仲間のタケノの事をたまに思い出す。
落ちこぼれの高校で鬱々した生活が嫌でドロップアウトしてしまった彼らはどこまで行くことができたのだろうか。
思うようなところにたどり着いたのだろうか。
僕は嫌な思いもせずに高校を卒業した。
落ちこぼれの高校時代は僕の踏み台としては十分だった。
結局、別府に戻ったのだけど、その踏み台のおかげで思ったよりも高く遠くへ飛べた気がする。
貧困や教育不足でずっと同じ地方にしかいられない人も沢山いると思う。
映画サークル関連で知り合った先輩たちの中でずっと別府にいた人がいる。
僕の従弟もずっと大分に住み大学まで大分に就職するそうだ。
みんなそれぞれの持ち場で楽しそうに生きている。
映画の中の彼らも、鬱々とした高校生活が大きな踏み台になれば良いなと思う。どこに行けなくても自分の持ち場で輝けたら良い。