温泉天獄
友達の上野さんが別府を訪ねてくれた。
上野さんは僕が東京で自転車屋の修行をしていた時に知り合った友達で、今は岡山に家族で移住し靴職人をしている。
靴作りの学校に自転車で通いたいと言った彼に自転車をあげ、将来手作りの靴を三足作ってもらう約束をした。
僕は既に二足の靴を作ってもらい、最後の一足をジディにつくってもらうことになった。
彼は日本中を靴の展示と受注のために転々としており、当初は天草のカフェでの展示会に伺う予定だったが、天草に僕ら夫婦が出向くよりも別府に来てもらった方がゆっくりと一緒に酒を飲むことができると思い立ち、彼に別府によってもらうことを提案した。
その時の誘い文句としてヤクザの多い温泉は刺青を気にしないで温泉に入れるよと言うものだった。
立派な和彫りを入れている上野さんは、熱海や山梨の温泉に行った際に宿の家族湯でしか温泉に入れず、温泉に自由に入れない苦労を共有したことがあった。
刺青に寛容な別府温泉の話を聞くと「天国じゃん」と上野さんは応え、別府に来ることを快く受け入れてくれた。
綿密な打ち合わせはせず上野さんは別府を訪れた。
到着時間が読めなかったので、予約していた居酒屋は翌日に日をずらし、到着の夜は自宅でご飯を食べる事とした。
日出で懇意にしている中津唐揚げを電話注文し仕事帰りに受け取った。
その後、別府市内のスーパーでお酒と鍋の買い出しをした。
自宅で夕食の準備を始めると上野さんが到着した。
食事の準備がすぐに整うけど先に風呂に入るか聞くとあまり風呂には入らないからという返事だった。
僕の言うお風呂とは近所にある温泉の意味だったが上野さんは自宅のお風呂の事だと思い拒否したのだった。
その誤解により温泉に入るの好きじゃないのに別府に来たのかと残念に思った。
ジディを簡単に紹介し常夜鍋と中津から揚げの夕食を食べた。
物知りな上野さんは常夜鍋を知っていて友達とよく食べていたそうで、鍋よりも中津唐揚げに食指が動かされたようで気持ちよく沢山食べてくれた。
食事が終わってもまだ遅くない時間だったので、近くの浜田温泉に出向くことにした。
上野さんの入れ墨は最後に見た時より範囲がふえていた。
上野さんはお洒落なふんどしを締めていて、見た目が侍のようだった。
ヤクザ者が多い別府では入れ墨でも堂々と温泉に入れてその姿を見た僕は誇らしい気分になった。
入れ墨を僕は自分の身に入れたいとは決して思わないけど、本人が決意で入れた入れ墨を脅しの道具として使うのでなければ堂々としてほしいと思う。
確か北海道の温泉でアボリジニーだかの先住民伝統の入れ墨を入れたおばちゃんが入浴拒否された事件が報道されていたが本当に悲しい事だと思う。
地元住人と一緒に別府の熱い温泉をゆっくりと堪能してもらった。
二日目は朝早くジディを車で送り、その足で友永パンという人気のパン屋さんでパンを購入した。
翌朝、天草に向けて朝早く出発する上野さんに沢山パンを買ってあげた。
その後、僕らは野生の猿で有名な高崎山に出向いた。
時期のせいか子猿が多くて可愛かったが特に印象にも残らなかった。
二日目にまず入った温泉は別府温泉の象徴である竹瓦温泉だった。
竹瓦温泉の砂湯を試したが建物の外見からは分からない天井の高い広い砂湯に感動した。
おばさんに砂を掛けてもらう本格的な砂湯は僕は初めてだったが上野さんは両親が住む鹿児島の指宿で経験したことがあるとの事だった。
比較してどちらがいいかなんて無粋な事は聞かなかったが、別府の砂湯も満足してくれた様子だった。
砂を流して竹瓦温泉の内湯にも入った。
昼食は名物の別府冷麺の中でも名の知れた
「湖月」を選んだ。
僕も初めてだったが12月いっぱいで閉店が決まっていて(今は後継者が見つかり再OPENしているらしい)味わっておこうと思ったのだ。
有名だとは言っても普段冷麺を食べないし食べたところで美味しいと思ったことがなかったが、湖月の冷麺は美味しかった。これがなくなると思うと残念でジディを連れてもう一度来ようと思った。
冷麺を二つ注文した後に、ここは俺が出すよと上野さんが言ってくれたが、今回は一円も出させたくないんだよねと言うと、そこまで言うならと奢らせてくれた。
初めての訪問なので別府の観光地として有名な地獄巡りを案内しようと思い血の池地獄に連れて行ったがお気に召さないようだった。
地獄巡りと聞いて温泉を巡るのかと思ったと言うのがその理由だった。
それならという事で沢山温泉を巡る事にした。
柴石温泉で熱湯の天然サウナと露天風呂に入った。サウナでは気さくなおじさんが私物の砂時計を貸してくれた。
鉄輪エリアに移動し薬草を敷き詰めたむし湯に入り、市営では唯一無料の熱湯に入った。
一旦自宅に戻り車を置いて、別府駅に移動し観海寺温泉に入った。
ジディとの待ち合わせの時間になったのでタイムリミットとなり最終的には二日間で6つの温泉を巡るという結果になった。
夕食に予約していたのは「炉端焼き仁」という地元の有名店で大分の名物を色々楽しめるお店だ。
関サバに始まり豊後牛や大分の肉厚椎茸、日扇貝、とり天などを頼みビールや日本酒と共に味わった。
自宅に帰ってから一番の目的であったジディの足の採寸をしてもらい、作って欲しい靴のデザインをジディはオーダーした。
翌朝、早朝に上野さんを起こし、玄関で見送った。
とても充実した楽しい二日間だった。
ここには書けない話やエピソードも沢山記憶に残っている。
後日、上野さんからお洒落なふんどしを送って貰った。
試しに履いてみても僕のだらしない身体では上野さんのように引き締まった侍のようにはならなかった。そんな僕でも上野さんと会い話す事によって僕の芯には変わらなきゃという気持ちが出来た。
上野さんの作るジディの靴が楽しみである。