映画:「アクト・オブ・キリング」 | MOONLIGHT EXPRESS ムーンライトエクスプレス

映画:「アクト・オブ・キリング」

演じるという事は誰かの人生を身をもって再生する事なんだと思う。

誰を演じることが簡単かというと自分自身だろう。

しかし自分の最悪な記憶を演じることによって再生するとどうなるのだろう。

本作はドキュメンタリーである。

タキザワにすごい話題の映画だから何の前情報もなしで観て感想をブログに書いてと言われたので今日見てきた。

インドネシアでは60年代に大量の虐殺が行われ100万人もの人たちが亡くなった。

殺されたのは共産主義者(共産主義者と決めつけられた人も多く含まれる)で虐殺の実行者は政府や警察・軍などではなく“プレマン”とよばれるやくざ・民兵であった。

プレマンとはフリーマン(自由な人)から由来した正に自由な男たちで、虐殺から何十年も経った今ものさばっており、公に殺人をした事を自慢しているのだ。

本作でプレマン達は虐殺をしてきた過去の自分たちを自分たち自身で演じて映画を作るのだ。

プレマン達は自分たちがいかにして多くの人間を殺してきたかを雄弁に語りその方法を披露する。

主人公のプレマンの長老は自分の殺人の記憶を披露し自ら演じる。


人を殺したことに良心の呵責も感じていない長老は自分の殺人の記憶を辿ることにより、被害者の気持ちになったり、自分の残虐さに気付いたり、悪夢を見るのはある残虐な殺人によるものだと考えたりする。

僕は誰にも裁かれない老人が追いつめられていく様に胸がすくわれる思いがする。
誰に責められるわけではないのに過去の自分に苦しめられ自分で自分を責める。

裁かれない殺人者などいて良い訳がない。

しかし世界中にプレマン達のような殺人者は多くいるんだと思う。

法で裁かれない殺人者はどうやって裁かれれば良いのだろうか。

一つは今回の映画のように自分で自分の人生を振り返り自らの良心に裁かれる事だと思う。

どんな殺人者にも自分の罪を責める良心があることを願う。

僕の事で言えば人を殺しても刑法39条で守られる可能性のある精神疾患者なので、万が一罪を裁かれるような立場になったら自分の罪をきちんと償う。

犯罪者に例えるのは大げさにしても、自分で過去の自分を演じる時に再生しても恥ずかしくない人生を送りたい。