次のリバズバ特別回の安井くん回やるのに看板を描きました
出来上がったのを見てみると、なかなからぶ担には刺さる看板になったのではないかなと思う
私的には刺さってます😆
 



 
先月のウルフムーンが明けた朝
目が覚めると前日まで続いた妙な体調不良が完全に消え
メンタル的にもとてもスッキリ!
 
抜けたーー!!!
 
って急に感じた
何が抜けたのかもよくわからないけど
何しろ抜けたと
あのわけもわからず陰鬱だったのが消えた
そしてそれが今もずーっと続いてなんか快調なのだ
こんなのは初めての経験だ
 
 
 
突然始まりもう1年以上ほど経つ老親との実家生活
これは介護鬱だと自分でも感じるほどの日々だった
でも介護と言ったって寝たきりや徘徊があるわけじゃなく、ただ病院や買い物や色々な手続きをする見守り要員みたいなもので
偉そうに介護生活だなんて言えないくらい
それなのにつらい
そんな大したことしてないのになんでこんなにつらいのか
私ってこんなに弱い人間だったのか…
自分でも何がつらいのかハッキリわからないのに気がつけば涙が止まらない日々だった
 
 
それがあの日の朝からパタっとなくなった
今つらくないの
涙出ないの
たしかに最近の老親は体調も良くてあまり手がかからなくなった
でもそこはあんまり関係ないと思う
なんか本当に
 
抜けたーーー!!!
 
なのだ
こんな事があるんだな
 
 
 
なんとなく振り返ると自分で妙に引っかかることがある
こじつけとか辻褄合わせと言われてもかまわない
 
2023年11月からインライの再生数がカウントされなくなった
それは最初インスタのバグだったようで他のアカウントは回復している
でも今だに私のアカウントだけ復活していない

そんなアカウントはおすすめにも出ないだろうし、再生数が0表示のアカウントを新たに見る人はいないだろう


そしてあの苦しかった満月の前日にXのリバ垢を失った
しかもそれをX上でフォロワーに知らせるすべもないというヲタクとして致命的な失い方だった
ヲタクというものはある意味Xで自分の存在を示しているようなもの
だからあの日、私のヲタクとしての命が8割がた死んだのである
もしインスタをやっていなかったら、リバというヲタクはあの日完全に突然死していただろう
 
 
これは
再生… なのかな
 
 
あの陰鬱を抜ける為にはその対価として大きなものを失わなければならなかったのかと思ったりする
しかしまぁ切り替えの早い私である
取り返せないものを憂いてもしょうがない
また1から始めよう
きっと今の私にはこの位置が正しいということなのだ
その傷は大きかったけれど今は暗い気持ちは捨て去れている
新しい事に着手する元気もでてきた
そうだ、このブログを始めたのもあの朝の日だった
リバズバでも安井くんの回をやる気になったのだ
 
 
今、安井くん回をやる事に過去の自分の集大成を残しておく…というか、"保存終了"をきちんとしておく事の意味を感じる
 
2020年に安井くんを降りた時にめちゃくちゃ叩かれて安井くんや7ORDERをアンタッチャブルなものにしてきた
最初は腹を立てていたからだけど、その後はただ色々言われるのが煩わしかったからだ
でもそれももういいと今は感じている(なにしろこないだ一度死んでるからな)
だからリクエストに応えるという形ででも安井回をやり始めたんだな
自分で作ったアンタッチャブルはもういいよ
きちんとまとめて過去も過去として愛そう
でもだからといって安井担には戻らないよ
愛すべき過去である
 
 
そういえば昨日の安井くんの記事を見たら
彼もそろそろ6人で動き出すようだ
そして来月はTOBEのライブがある
IMP.もライブが始まり本格始動だ
 
 
再生のスタートである
運命というものがあるならそれは必然の未来なのだと思う
迷ったり疲れたり走ったり右に曲がったり引き返したり気づいたり感じたり
自分が取った選択、やってきたこと
些細な事象が今の自分、未来を紡いでいく
運命を作るのは自分自身
他人からすればただのオバヲタの人生ではあるけれど
私には私が運命の人であり、私が紡ぎ作り出す私だけの人生なのである
だからこの年になっても再生はある、スタートもできる
私が気づき、作る人生なのだから
 
 
 
こういう気付きの感覚は忘れないように書き残しておいた方がいい
いつ何に気づき、どう感じたかは後になって大事になることが多い
ただでさえ忘れっぽい私だからさw
何が起こったわけでもないけど
きっと大事な記憶になる今日のブログだ
 

はい
あちこちに感謝合格