スマホの普及でガムの消費量が減っているという記事を何年か前に見かけた。待ち時間の暇をつぶす役割を奪われたという趣旨だった。

 

 確かにスマホのおかげで、暇を潰すのが格段に楽になった。スマホ以外の手段が日陰に追いやられた弊害もあるが。


 なぜ人は暇を潰したがるのか。脳に刺激を与え続けないと落ち着かないとでもいう、何かヒトの生物的進化と関係があるのだろうか。


 前回、うぐいすのことを書いたが、たまに深みのある声を出せるようになっている。それでも5打数1安打にも満たないのではないか。課題のリズム感のなさは相変わらずである。


 うぐいす以外にも、耳を澄ませばいろんな音が聞こえてくる。その辺に生えている草、花の名前も知らないものばかりだ。


 かように自然は情報に満ちている。しかし、よほど強度が強くないと(地震や台風のように)、現代人の情報網に引っかからないのも事実だと思う。


 さて、抗がん剤治療中、ベッドの上でいつも2時間ほど暇だ。普段は音楽を聞いたり、本を読んだり、動画を見たりと、すっかりスマホに依存している。

 

 今日は、半分うつらうつらしながらであるが、ひたすら頭の中だけで音楽を再生していた。


 曲を作るとき、ピアノの前に座ったり、パソコンのDAWを立ち上げたりするのが一般的なんだと思う。


 自分は頭の中である程度イメージを作っておかないとうまく行かないことが多い。

 下手に物理的に音を鳴らしてしまうとそちらに引っ張られ、頭の中のまだ脆弱なイメージが霧消してしまうのだ。


 また、ノープランの場合、たいていはフレーズの残骸が量産される羽目に陥る。

 だから、頭の中で音をひたすらイメージする。傍から見ればぼーっとしているようにしか見えないと思う。


 今日頭の中で専ら再生していたのは、ナウシカのオープニングである「風の伝説」。これをテクノ風にカバーできないか思案中である。


 一番難しいのは、主旋律をどう料理するかで、音色をうまく選ばないとスーパーのBGMよろしく、ダサダサな音楽が一丁上がりである。


 久石譲さんの曲なので、ミニマルミュージックとブラックミュージックの要素をうまく取り入れられたらと思っている。