まあ、世の中はドラッグだのなんだの、大変なことになっていますが、
ああゆうものは、自分の判断で開始したのだから、自己責任です。周囲も大迷惑ですが、自分が断ることもできたわけなので、自分の責任はとっていくというお話ですね。
それとはまったく異なる、わたしがとてもショックを受けたのは、「病気」のお話。
そう、大原麗子さんが孤独死をされたというニュース。しかも、リウマチの親戚みたいな、ギランバレーという病気です。
本当に本当に他人事ではありません。
わたしも寝たきりのときに、いま火事や地震になったら、きっと逃げられないだろうから、死んでから見つかるに違いない、と覚悟をきめたものです。
最後のインタビューでは、大原麗子さんは涙声で
「ギランバレーのせいで転んでしまったの。」
と言っておられました。骨折したそうです。
これも、よーくわかります。つい、もらい泣きをしてしまいました。
転ぶなんていうのは、屈辱なわけですよ。階段の手すりが必要とか、そんなのはあまり信じたくない。
なんて自分は情けないんだ、という気持ちでいっぱいになります。
ただ、ここでも心構えというか、病気との共生という意味でいうと、もっと図々しくならないといけません。
わたしが飛躍的に改善したときの心理をお話します。
「手すりがないと降りられないから、1時間余分にみておこう。」
「わたしは転ぶかもしれないから、ついてきてください(あるいは、席を譲ってください)」
「闘病をしないで、共生をしよう!病気を治すのではなくて、病気を飼い犬のようにかわいがっていこう。
命名!リウマチ犬。毎日がぶがぶ噛むけど、けっこう慣れるとかわいいよ。第一、すごいしつこいし。。。」
「本当にすみません、でもわたしは人手がないと生活できないんです。闘病に専念はしません!病気があっても、体が動くときは動かします。」
こういう感じです。闘病に専念すると、毎日、病気のことしか考えません。これはすごく不健康です(病気なんだから、そりゃそうか)。
だから、全然おすすめしません。病気をぜったいに生活のメインにしないこと。
ペット中心の生活にも限度があります、それと一緒。毎日エサと散歩はかかさない、でもペットに人生を捧げるわけではないでしょう?
病気があってもなくても、あなたはあなたです。
自分を維持できる方法、病気は飼い犬だと思って、世話しつつ生活する方法、
考えてみてくださいね。