イギリス人デザイナーのAlexander McQueenが亡くなりました。http://www.fashionsnap.com/news/2010/02/alexander-mcqueen-dead.html


日本の各種ファッションニュースサイト、Yahooやmixiなどでもニュースになっていまるので詳細は割愛。

BBCなどのメディアでも取り上げられ、イギリス国内では大きな騒ぎらしいです。


自分は街頭で配布されている無料新聞で見つけ、唖然としました。

比較的ファッションに疎いオーストラリアでも、しばしば話の種になっているようです。



金銭的余裕がない自分はTシャツを見て「欲しい!」と思う程度でしたが、それでもやはりマックイーンの偉大さというのはファッション好きならみなわかると思います、自分もその一人でした。

Via Bus Stopのアウトレットで購入した鞄が気に入っていて、大学の後輩もそれを見て必死で探していたのを思い出しました。



Tシャツのモチーフが大判の動物で、かつ繊細に描かれていたのがとても自分好みでした。いつの間にか機会を逃してしまった。

もう少しファッションだけじゃなく「服装」というものを理解した上で、彼の服のよさをわかるようになりたかったです。



同じくデザイナーのキャサリン・ハムネットを始め、彼を「天才」と呼ぶ人は数多くいました。


自分は「天才」からは素質的にも環境的にも遠く離れた存在なので、「天才」の定義すらわかりそうにもないけど、新しい公式を発見したとか、秀逸な論文を発表した、素晴らしい発明をしたというような学問の世界の中で専門家達誰(厳密には大多数)が見ても一目で「天才」と呼ばれるような素質の持ち主と、ファッションという百人が百人同じ感性を持たない世界の中で、数多くの人々に「天才」と呼ばれる人は同じ言葉でくくっても、大きく異なっているのではないかと思います。どちらが凄い、難しいという比較ではなく

異なる感性を持った(またそれらを持った人が一般的に凄いと認められている)人達から「天才」と呼ばれるのは、本当に偉大なことなのだと思いました。


もちろんがファッションだけでなく、学問やその他多くの分野も限りなく広い対象や考えがあり、「センス」というものが必要です。自分が言いたいのはより「センス」が必要とされると考えられるファッションにおいてこうした評価をうける事がどのような事なのかを考えたくなったのです。



mixiで彼の死を悼む日記の中に「今日何故かマックイーンの服が着たくなったから着たんだけど、、、」という人が多く見られました。

デザインだけではなく、それを持ってる人々の何かを動かすような服作りをしていた彼を失った事は、現在のファッション、そして未来のファッションにとって計り知れないほど大きな痛手になったと思います。