今里帰り中でして、


子どもたちをうちの母がみてくれている訳ですが


色々と

みえてくるのは


私の小さい頃の勘違い




結構ビシビシ色々やらされてきた

みたいな印象をもっていましたが


やらせるって大変



そのために

交換条件とか、おどし?といったらなんですが

これしないとおやつはなし


とか

言うだけなんですけど


あるんですよね。



兄弟多かったもので

そうでもしないと収集つかないみたいなところがあったり、


実際、Nちゃん、Sくんのわがままさが抑えられて

こんな風にお手伝いとか、片付けとか、喧嘩しないで遊ぶとか、安定してできるんだなぁ〜


と、実感されます。


その上で、もうお年を考えて、やめていいよといっても、わざわざ電車で2時間近くかけて動物園にいったり、(電車で暇つぶしに薄〜い本もっていきたいとNちゃんがいったのを、荷物多くなるからと秒で却下してた)

こどもどうぶつえんに行った次の日に、乗馬体験をしていないからと、

また次の日、午前の仕事のあと、同じ動物園につれていってくれたり(大雨)


色々と楽しませてもらって


私も休みの日はいつもより早く起きて、お弁当もって、家事を終わらせて遠くまで行こう!

みたいな

そんな生活を送っていろんな体験させていただいたわけですが(なので、平日も昼まで寝ているパパが異世界の人(よく結婚したな(それがうらやましかったのか(新鮮ではあった))))


そうでもしないと、ね


ご飯も豪華ですよ。

無農薬無添加の食材をふんだんに使って、これでもかというくらい作ってくれて


一日30品目を地でいくので

食費も月30万円くらいかかっていたらしい


(ひとつき、よ、毎月、よ。給食とかは別に食べていた)


で、子どもたちはいつもよりたくさん盛られて、がんばれ!これたべたらスイカだよ。食べないならスイカなし!!みたいな

かんじ。


食の好き嫌いは人の好き嫌いに繋がるの!

と。


私の「かたより」もそう映るのかもしれない。


これやんなさい!!

あーしなさいこーしなさい!


で、だだこねたら

もーいいわ。


あー、こんなだったなー

と思い出すのと、


まあでも、思ってた以上に可愛がってたり

単純に「甘かったり」


私はしないことだけど、

下の子優先


私は兄弟で下の方だから「優先」されてきたけど


下が育ちにくい部分も、あるよね。


甘えるのも思いやり


とはいえ、甘えるのが当然から

自力で抜け出さないといけないからね。

それが私の課題かな。


当然、甘えていいんだけど

当然、ではないというか。

そのバランス。


これは誰しも難しいのかもしれない。



とにかく、母は4時半に起きて、ご飯を作り、オムツを洗い、洗濯掃除、自分の職業の仕事は休んでいるけど、地域の仕事、自治会その他の引き受けている仕事をやって、

子どもたちを遊びに連れ出し、

1日二回沐浴してくれて

自分も習い事にかよい


という生活


私を育てている時から


あまりある才能をまずは子育てに全力で傾けて

私たちを育ててくれて

余った余力で、地域のお世話焼きおばさんをやったり、PTAだのなんだのやったり

なにかとプチ事業を起こしたりしてる

相当なエネルギー量と回転の速さと、割り切り効率と、無理にでも物事を進めていくパワー



自分も幸せ、家族も幸せ、子どもの幸せを願って

地域も幸せ



子どもに「ちょっと待って」といいたくないから朝早くに起きて、支度を済ませていたの


と言っていた。


寝るのは11時とか12時とかだし

私は早く眠くなっちゃうから、無理させてたと思ったけど

そうでもないらしい。

母が子どもの頃から睡眠は4時間半くらいなんだって。


昼寝(15分くらい)は、子どもの時の記憶でもよくしてたけど、それですごくスッキリするんだって。


私も夜おきたら、そのあと寝れないとかいってるけど。夜中起きてると朝眠いけど。

起きて家事でもしてればいいのかなー?

実はそんなに長く寝なくてもいいのか、も?


わかんない、夕方と、夜と朝は眠い。

自分でパチっと目覚められない(中途半端に子どもに起こされる)から、不満として眠いと思い込んでるだけとか?


この辺はまだまだありそう



とにかく、母はスーパーウーマンで、私のことを躾しながら大事に育ててくれて

幸せを願ってくれている


ってこと


ミスを指摘するのも、幸せを願ってのこと


考え方がもう大人で同じではない部分ももちろんあって

私がそれをどうとらえるか

甘えをどうとらえるか

親の手伝いをする(介護的な)立場にいつかなる

かもしれないしならないかもしれない

(選べるならできれば、介護必要ない世界の方がいいなぁ。お互いに。)

けれども、それにもかかわるよなあー



愛されて大事にされ続けてきたのは

本当にそう。


忙しい母だったからこそ、話しかける時に緊張したり気を遣ったりもしていた

パワーが大きい人だから、というのもあるし、自分が傷つきたくないから

言い出せないというのもあるし

自分の意見を言わない方が、物事がうまく回るだろう的な気遣いもしていた

(勘違い)

勘違いから、気持ちを抑える、意見を言わない癖がついて、

さらには、上の兄姉にお世話してもらえる依存的なところや、

ラクに逃げるところもあって思考停止


思考停止がいやだから

ぐるぐる頭の中で考えて、思考力の無駄遣い

というか、それしかできなかったのかも。


だれかが勝手にやってくれる

(上もみんな面倒だからやっちゃう)

みたいなところもあり


弟がぎゃーとうるさいから気持ちを満たしていたというのも学習して


うるさい人の気持ちはとりあえずみたしとけばいいみたいな

所作も身についてしまって。

(母が末子というのもありそう。末子なのにみんなを統率してすごいんだけど。そういう能力才能に長けてるのね。)私その才能に憧れていたんだろうな。


勘違いの部分をとっぱらったら

あとはお母さん大好きが残るのよね。



今書いていることもしばらくしたら勘違いに気づきそうだけど


まあでも捉え方がかわるイコール成長だから


のちに恥ずかしくなりそうでも、

観察記録として書いておく。


実家で暮らすことってもう中々ないしね。


勘違いはしたままでも別に大丈夫だしね。

大枠あっていれば。


母に子どもたちの気持ちを決めつけてるように感じると

指摘されたんだけど


多分どっちでもいい

違う時は子どもは違うというと私は思っているけど


大事な時を、おさえていれば、多分どっちでもいい


まだ書けそうだけど、とりあえずここまで。

夜中寝られてないから

寝ようかな。