今日の気づきは衝撃だった。
私は今まで、
男性から
「綺麗だね」
「今度ご飯食べに行こう」
「飲みに行こう」
と言われると、
無意識のうちに
「この人は私を好きになってくれたんだ」![]()
と思っていた。
すごいのは、
相手から一度も
「君のことが好きだよ」
と言われていなくても、そう感じていたことだ。
毎日内観を続ける中で、
なぜ別居している夫からの暴言が、
今でもこんなに私を苦しめるのかを考えていた。
そして気づいた。
私はずっと、
自分自身を大切にしていなかった。
だからパートナーからも大切にされない。
そして本当は自分が自分にかけてほしい言葉を、
相手に求め続けていた。
さらに気づいてしまった。
私は
「かわいいね」
「綺麗だね」
と言われると、
勝手に
「私は好かれている」
になり、
さらに
「この人は私を大切にしてくれる」
になり、
その先には
「付き合うならこうしてほしい」
「パートナーならこうあるべき」
という期待まで作り上げていた。
でもよく考えたら、
相手は一度も
「好きだから大切にするよ」
なんて言っていない。
だから私は、
雑に扱われると怒った。
悲しくなった。
傷ついた。
でも今振り返ると、
私は相手の気持ちを確認する前に、
自分の中で物語を作ってしまっていたのかもしれない。
それに、相手の気持ちを確認することは私にとってとても怖いことだった気がする。
そして、この思い込みの根っこも見えてきた。
幼い頃、
母はテレビに出てくる小さな女の子を見て、
「かわいい!」
「すごくかわいい!」
と言っていた。
いとこの子に対しても、
「〇〇は本当にかわいい」
と言っていた。
私はそれが嫌だった。
とても嫌だった。
子どもの私は、
そこで勝手にこう結論づけた。
かわいい子は愛される。
だから、
かわいくなれば愛される。
その後、
中学生の頃の日記には毎日のように
「かわいくなりたい」
と書いてあった。
理由は単純。
かわいくなれば彼氏ができると思っていたから。
彼氏からはいつも好きでいてもらえて私は幸せになれるから。
今思うと、
とても短絡的な考えだ。
でも私は本気でそう信じていた。
だから大人になってからも、
「かわいいね」
「綺麗だね」
と言われるたびに、
無意識に
「私は愛されている」
と変換していた。
だけど今日、
やっと気づいた。
「かわいい」と言われることと、
「大切にされること」は違う。
「好意を持たれること」と、
「愛されること」も違う。
そして本当に欲しかったのは、
誰かから
「かわいいね」
と言われることではなく、
どんな私でも大丈夫だよ。
そのままのあなたでいいよ。
そう感じられる安心感だったのかもしれない。
50年以上気づかなかった思い込み。
でも今、気づけて本当によかった。
これからは、
誰かに愛されるために可愛くなろうとするのではなく、
まず自分が自分を大切にすることから始めてみたい。