うちの家族は自由

 

ほんとに自由人のあつまり

 

でもこの自由って言葉

捉え方は人それぞれであり

 

自由なのがいいね。

と言う考えもあれば

それって大丈夫なの?

と言う人もいるだろうし

 

レールがないと先が見えないから怖くて

自由が窮屈に思う人もいる

 

人それぞれ違う捉え方はあるだろう

 

私自身は自由を求めて生きてきた

それはなぜかと言うと

 

ちゃんと!というレールが引かれた道を

歩まされてきたから

 

自由になりたくて家を飛び出してみたり

今思えば別になんともない事でも

うちの家族(親)からしたら

とんでもない発想をする子だと、大変な子だと

監視の目があったり

 

その枠の中でなんとか好きな事をみつけながら

やってきた。まあ当時は諦めていたと言ったほうがいいかな

 

だから今わたしの属しているここ(家族)は

ご自由にどうぞを提供してる笑

 

ご自由って良いふうに捉えるかもしれないけど

これって子供にとっては実は結構大変

 

自由はすべて自分の責任になるから

 

子どもはある程度のレールをひくのが

親の役目ではあるとよくいう

 

もちろんそれも間違ってない

 

それも拒む我が子が産まれてきたので

見守る体制をとるようにした

もちろんそれまでの道は簡単とはいえない

葛藤と概念の塊という茨の道があった

 

周りからしたら酷い親ということなのかもしれないし

常識はずれと言われるかもしれない

 

でも、親子の関係でも夫婦でも、

うすっぺらい信じる心っていう

言葉だけならめっちゃいらないのよ
 

それなら信じてるという行動が大事だとおもう

 

ダンナは正月にハーレーで富士山の方へ行ってた

 

子供たちは動画で発信したり

遊びに行きまくっていたり

 

私はいつものように家事やらず絵を描いていたり 笑

 

なんだかわからんけど、

すんごい楽しそうだった

 

だからさ、価値観、概念をとことん手放すと

なんでもオッケーなのだよ

 

こーして欲しいあーして欲しい

気持ちが出てくるのもわかる

 

でもね人を変えることなんでできないからさ

期待することを諦めたとか

そーゆーのでもない

 

そもそも期待なんてしない

 

執着ほど苦しくなるものはない

 

自分の今にただただ集中してれば

価値観のちがいだの

固定概念だの

執着だの

 

本当にどうでもいいのだ

 

おのおの自分という人生を

どうぞどうぞ

謳歌してください。です。

 

もうそれがいちばん

手っ取り早いのだよね

 

楽しも今を