だんだんと母の呪いが解けてきた私は、母にグチや他人軸をやめて欲しくて、一言言いたくなってしまう
私がどんなに言葉を選んで話をしても、母は言い訳をして、自分の正当性を主張してくる
、、、まぁ、この時点で、私が母を変えようとしてしまっているから、母はそれを感じ取り、言い訳として祖母の話を引っ張りだしてくる
母が今、こうしているのは「全部祖母のせい」
前回と前々回のブログで書いたように、母のことをかなり俯瞰して見れるようになった(と思う)
これはこれで私にとってすごいことではあるけど、忘れてはいけないのが、私自身のココロ
周りの人がなんと言おうと、「母から愛情をもらえなかった」と思っていることは、私にとっては事実であり、なんなら「私が受け取れていなければ愛情はなかった」と思ってる
グチや不満ばかりを口にする母は幸せに見えないから、「私は母を幸せにできなかった親不孝な娘」という十字架も勝手に背負っている
私が頑張ることで、母を笑顔にしたかったけど、できなかった
母はずっと祖母を追いかけている
私のことは見てくれない
私が何を言っても祖母のせいにして現状を変えるつもりはないことに改めて気づき、
「母は母で今の状況を選び取っていると言えるのではないか!?」という考えがやっと腑に落ちた
母はグチや不満を言って、不幸そうな態度をとっているけど、視点を変えると、母は変化を望んでおらず、現状をやりたくてやっているので、母は幸せなのである
この「母の幸せ」は私とは違う感覚なので、ついつい私の考えを押しつけたくなる
けど、聞いてくれないし、もちろん変わろうともしてくれないので、そのたびに自分の無力感に襲われてきた
もうこのループは変わらない
変わる必要があるのは私の見方
私は母を幸せにできなかったのではなく、
「私が頑張っていい子で、子育てを煩わせなかったことで、母は祖母のことを集中して考えられたのではないか?」
という考えが浮かんだ
今回の人生で、母は祖母との親子関係を満喫したかったのかな?
この考えに至ったら、私は十分親孝行をできたのかもしれないと初めて思えた
ひねくれた解釈かもしれないけど、私はここに気づいたとき、心が震えて、涙も出たので、私の深淵のところに触れられたと思う
私は母を「母なりの幸せ」にする手伝いができたと、自分に言い聞かせてあげよう
もう親不孝と思わなくていい、十分親孝行してきたよ、私
でも、お母さんに話を聞いてもらったり、笑顔を見たりができなくて、寂しかったね
これまでよくやってきたよヾ(・ω・`)よしよし
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