4回目の移植を終え今週判定日でしたが…BT7でhcg13というガーン

前回のように、まだ可能性が残ってるような数字でもなかったので、転院してすぐ次に行けるかと思ったら、


院長「しっかり着床してるね!1週間だとこのくらいの数字でいいから。前回流産してるから、今日から自費でプラスのお薬出すから続けてみて」とのこと…ガーン130と間違えてる?ともう一度紙を見ても13だった。


妊娠継続率10%…もう化学流産確定でいいのでは…って数字。ちょっと検索してみても、この数字で出産できてる人見つからないよガーン

このまままた薬で無理矢理育てて、胎嚢・心拍確認後に流産ってなるより、もう薬終わりにして化学流産でリセットさせたい…と思ってしまう。その方が、心身共に、金銭的にも負担が少ないよなぁ。卵さんには、申し訳ないんだけどショボーンこんな考え方しかできないママでごめんなさいと、自己嫌悪も止まらない。


ネガティブなことをこちらが言おうものならまた院長にキレられると分かっているので、「はい」しか言わずに診察を終わらせた。

もう泣きたくなくて、心を無にしてなんとか泣かず。

でもあとから冷静に考えると、「化学流産ですね、薬も終わりにしてください」って言われたら言われたで、まだ可能性あるんじゃないの?って思いそうな気もするから(我ながら勝手ですね笑)、生命力を信じるいい先生なのかもしれない…



これで、6回目の妊娠。まだ確定診断はされていないけど、6回目のお別れなんだろう。なんかもう、疲れてしまって無の境地で、最近一歩も家から出ていないショボーンせっかく、ジム行ったりランニングしたりフットサルしたりで、心身共に健康になってたのに、移植する度に薬漬けになり、運動は禁止、結果流産でメンタルもやられて振り出しに戻される。立ち直る度にまた移植→流産の繰り返しで、なかなか地獄から抜け出せない。何回立ち直れば終わるんだ?



年齢による染色体異常と、プロテインS欠乏の不育症で、ここまで流産になるのかな?何か他にも原因がある…律希は見たところ異常がない感じだったし、33週まで順調に育ってたから、夫婦染色体検査ってしてないんだけど、どちらかに何かあるのかな…あせる


自然妊娠1→化学流産

自然妊娠2→胎嚢確認後流産

①4BB→稽留流産

②4BB→死産

③4BB→稽留流産(アスピリンヘパリン有)

④4BB→今回流産になりそう(アスピリンヘパリン有)

⑤4BC→?


36歳の時の採卵で、こんなに上手くいかないものなのか…5個胚盤胞になった時は、少なくとも1人は生きて産めると思ってたなショボーン

例えば、①③④を先に移植していれば、移植3連続流産で、絶対不育症の検査を受けてからアスピリンヘパリンして②を移植してたはずで…今頃律希は生きて産まれてたんじゃ…とか、少し何かが違っていれば、違う今があったんじゃないのかなぁとか考える。考えても時間は戻らないし、意味ないのに。

少し何かが違えば、ここまでこじらせず、ここまで不幸にならなかったんじゃないかな。どこで間違えたのかな。


当日病院では耐えて、夜夫の前でだけはたくさん泣けて泣き疲れて寝れた。火葬の日ぐらい声出して泣いて、こんなに泣けるのかと自分でもびっくりしたショボーン

立ち止まらないと決めてたけど、もうつらくてつらくて諦められたら楽なのに…とすごく思う。



夫婦で生きていくって決められたら、楽なのに。陣痛も出産も経験できたし、周りには分からなくても、私たちには確実に息子がいる。

お空の律希だけを想って、夫婦で生きていけたらいいのに。

不妊治療辞めて、もう流産も死産もすることがなければ、なんとかメンタルは保って生きていけるはず。

でも息子の顔を思い出すと、元気に動いていた胎動や抱っこした時の重みや愛おしさを思い出すと、律希を抱っこした時の夫の泣き顔を思い出すと、「また会おうね」の約束を思い出すと、どうしてもまだ諦められそうにない。



検査薬が真っ白になってたら、もう薬も止めてもいいかな?と思ってやったら、まだ割と線は出ていて…卵さんは頑張ってるんだね。なんか、死産後は早く律希を失ったことを塗り替えたくて?失ったものをいち早く取り戻したくて、心に開いた穴を埋めたくて、とにかく早くまた妊娠しなくちゃとものすごく焦っていたけど、ここまでくるともう焦っても仕方ないかなぁ〜とは思えてる。

心を無にして、薬を続ける1週間。


また回復したら、フットサルしてジム行って、仕事も復帰して、とりあえず進むことだけは止めずに、治療を続けます。

転院して、また採卵から…採卵は2年ぶり。我が子にどうしても生きて会いたい。何とかやるしかないな。


なかなか明るい報告が出来ず、すみませんあせるあせる

少し日がたって、だいぶ気持ちの整理はできてます!