律希のことは毎日想っているけれど、その他に来てくれた4人の子のことは、正直思い出すのもつらくて、フタをし続けてきた。
死産は、絶望の中でも会えてお顔を見れた喜びがあった。子どもを産んだという実感があった。
対して初期の流産は、私にとっては喜びは全くない(気分を害される方がいたら、すみません…私にとってはです)。まだ細胞っていう感じで、子どもを産んだという実感もない。痛みは確かに、小さな陣痛って感じはするけど…
血がいっぱい出て、痛くて、陽性が出て持ち上げられてからどん底に落とされるだけの、苦しくつらいだけの出来事。
私の中での第一子は律希で、稽留流産の子たちまではカウントできていなくて…なかったことにしているつもりはないけれど、カウントしてたら次の子は第六子って、人数多すぎて
悲しくて心がもたないので、カウントできていない。
最初の流産の時は、「短い間でも来てくれてありがとう、妊娠できる身体だと教えてくれてありがとう」と思えていた。ただここ最近は、流産はつらいだけで、心身のダメージと時間のロスが大きいから、流産になるなら着床しない方が…と正直思ってしまう判定日も「はっきり陰性」か、「はっきり陽性」かを願っている。前回みたいな陽性・低hcgが、1番きつい。
こんな薄情な考え方になってしまっているから、なかなか元気な赤ちゃんが来てくれないのかなぁと思ったりする。
私のお腹に一時でも来てくれたんだから、感謝しないといけないって思ってる。感謝したいとも思っている。
だけど喜んでから落とされるのを5回も経験すると、感謝なんてできなくなっていた。
看護師さんに、「着床すらできない人や、胚盤胞にすらならない人もいるんだから。あなたは34週までいけてるんだから」と励まされたことがあったけど、うーんって感じだった。
何度も着床しない・胚盤胞にならないのも絶対つらい。繰り返したら心が折れると思う。
私のように、着床はするけど初期流産になるのも心が折れる。34週死産はつらいなんてものじゃない。
どっちもつらい。比べるものじゃない。みんな頑張ってる。
昔、生徒が作ってくれたお手紙。大切にしている言葉のひとつです