自分の気持ちを整理するために、また息子のことを記録しておくために、始めたこのブログ。こんなにアクセスがあると思っておらず、つらつら思うがまま書いてますあせる読みにくかったり、あまり良くない表現があったりしたら申し訳ありませんあせる


この日の朝にラミナリアを抜いて、バルーンを入れたんだったかな?1時間おきくらいに、なんか飲み薬も飲んでお腹が張ってくるか機械をつけて測ってた。グリグリ内診も何回かあってめちゃくちゃ痛かったな。でも、痛みは息子を亡くしたという現実に比べたら全然耐えられたな。

確かお昼くらいの時点で2センチ開いてるって言ってた。


この日の夜が入院中1番辛かった。

夫が帰る19時くらいから、だんだん痛みが増してきて、助産師さんに「眠れない・ご飯食べれないくらい痛くなったら麻酔入れるので呼んでね」と言われてたので、20時くらいにナースコールした。もう寝転がっていられない痛みで、規則的だったから、まさに陣痛って感じだった。測ると5分間隔くらいになってた。ベッドがふかふかなのも痛みを逃せなくて、床に正座して1人で泣きながら耐えていた。


20時にしたナースコールで助産師さんが出たのだけど、電話の向こうで出産間近の妊婦さんが呼吸をしている声がして「ちょっと待っててくださいね!もっと痛くなると思うから」と言われブチっと切られた。そしてそれから1時間以上誰も来なかった。

「私の痛みなんてどーでもいいんだろうな、生きて産まれる子の方が優先だよな」と涙が出た。悔しくて悲しくて、もう自分が我慢すればいいんだとナースコールはしなかった。


1時間半後くらいに一回様子を見に来てくれたけど「今バタバタしててごめんねー!」と呼吸法を教えてくれるでもなく、背中をさすってくれるでもなく、ドアを開けてその言葉をかけただけですぐ出て行かれた。


赤ちゃんの泣き声が3人ほど聞こえてきたので、お産が立て込んでいたのだろうけど、本当に地獄だった。20時にナースコールして、やっと私の対応が出来るようになったのか麻酔を入れてもらえたのは23:30だった。


部屋に1人、床に這いつくばって泣きながら痛みに耐えた3時間半。本当に、何の試練なんだと思った。私何か悪いことした?

事前にYouTubeで何度も勉強してた呼吸法の言葉「赤ちゃんも頑張ってるから一緒に頑張る」「赤ちゃんに酸素を送ってあげるために深呼吸する」痛みの中で思い出したけど、一緒に頑張りたかった、頑張ろうと思っていた赤ちゃんはもう死んじゃった。酸素を送ってあげる相手がいない。1人で何してるんだろう…と涙が止まらなかった。


夫からの励ましのLINEだけが、心の支えだった。


2日後に経験する6.7センチくらいの時と同じくらい痛かった。麻酔を入れられてこの日は終わった。


夜は寝付けず、息子と遊びたかった音楽をかけたりして過ごした(私は長年教育・保育に携わる仕事をしています)。