友達に「1分くらいで学生に話せる怖い話ない~?」と聞いたらこんなメールが返ってきた。
不思議な話だから学生好きそうだなぁ。
突っ込みどころはたくさんあるけども。
それは何処かの誰かのお伽噺。
現存するわが国最古の文献には、雲間に浮かぶ城と街、そしてそこに住む人々についての詳細な記述がある。
しかも、同様の記録は欧州、中東、果ては南米にも史実として刻まれているのだ。
ただし、これら「空の国」についての各地の記録は、西暦1400年頃を境にぷっつりと途絶える。
この時期に何があったか、知る者はいない。
尚、この「空の住人」については「地上に降りてきたとき、常に霧がかかっていた」と記されている。
それは何処かの誰かのお伽噺。
WWⅠの最中に雲の中から現れドイツ軍を駆逐した「モンスの天使」の伝説は広く知られているが、同様の事象がベトナム戦争中にも起こっていたことを知る者は少ない。
それは湿地帯の底から現れ、北ベトコン兵に包囲された米兵を助けたという。
目撃者の元米兵は、「助けてくれたのはありがたいけどさ――」と言葉少なに語る。
「全身真っ黒の毛むくじゃらで、ベトコンを食い殺しながら笑っていたんだぜ?」
米国大統領は就任時に聖書に手を置き宣誓する。しかし実際の彼らは何に守護されているのか?
それは何処かの誰かのお伽噺。
世間にオーパーツとして知られる代物の大多数は、単なる学者の誤解・悪戯だったと判明している。
しかし、中には「本物」が見つかることも少なくない。
中欧の7000年前の遺跡から発見された金属のプレートも、その一つだ。
アルミを含む合金製と推測されるそのプレートには、英語に酷似した文字でこう刻まれていた。
「ここまで逃げても、奴らはまだ追ってくる……」
プレートの主は何処から来て、何から逃げていたのだろう?
それは何処かの誰かのお伽噺。
明治中頃の日本に、宮澤誠治という変わった絵ばかりを描く画家がいた。彼の絵は痩せ細った人間だったり白骨の山だったりと気味の悪いものばかりで、まったく売れることはなかった。
やがて大正二年、一枚の絵を描き上げた翌日、彼は焼身自殺を遂げる。
遺された絵には廃墟じみた建物が描かれ、焼け焦げた死体が積み重なっていた。
昭和の終り頃、彼の子孫の手によりこの絵が美術展に出品された。
一目見て審査員はいった――「原爆ドームの絵ですね」と。
それは何処かの誰かのお伽噺。
1993年、アメリカはオハイオ州の精神病院でジョナサン・フィッシャーという男が病死した。
彼は日頃から「世界は嘘ばかりだ」と喚き散らす病的な人間不信の塊だった。
死後、彼の血液型が現行の分類のどれにも当てはまらない珍しいものであったことが判明。
また、DNAの塩基配列も人類のそれとはかけ離れたものだった。
彼は最後にこう言い残していたという。
「皆、変わってしまった。残ったのは俺だけだ」
それは何処かの誰かのお伽噺。
大正の末まで、青森県の北東部に家落村という集落が存在した。漁によって生計を立てていたその村は豊かとはいえなかったが、村人は概して朗らかで、よそ者に対しても友好的であったとされる。
しかし、村は大津波により壊滅。百人足らずの村人も運命を共にした。
郷土年鑑に残されている一枚の写真には、惨禍に合う数ヶ月前の村人数名が映されている。
おどけたポーズを取る彼らの手指は不自然に短く見え、まるで水かきのようになっていた。
なお、家落村の跡地からは、水深一万メートル以下に生息する深海魚の骨が多数発見されている。
それは何処かの誰かのお伽噺。
飛行中のジェット機の翼、そのエンジンに野鳥が飛び込む事例は、実は珍しくない。
現行のジェット機はその対策として、エンジンに様々なシールド、フィルター等を設けているが、それでもそうした事故は減少こそすれ絶えることはない。
しかし、航空関係者に密かに知られる話として、次のようなものがある。
何年かに一回、ジェット機のエンジンに、鳥にしては明らかに巨大すぎる翼、人間らしき生物の手足の欠片がこびりついていることがあるのだ。果たして空の上では何が飛び、何が生きているのか。
それは何処かの誰かのお伽噺。
戦後間もない頃、とある地方県警に「名人」と呼ばれる刑事がいた。容疑者の取り調べに暴力を伴うことが珍しくない時代ではあったが、しかし彼はどんな容疑者にも傷一つ負わせず、次々と自白させたのだ。
ただし、それらの容疑者の多くは精神を病み、中には直後に急死した者もいた。
そうした事実に関わらず、とにかくも彼は優秀な刑事として評価され、定年で退職した。
獄中で死亡した容疑者達の検死結果――外皮には傷一つないのに内臓だけが刃物で嬲ったかの如く切り刻まれていた、という奇怪な記録だけが、県警の事件ファイルに残されている。
それは何処かの誰かのお伽噺。
昭和初期まで、四国にY村という村が存在した。この村の風習として、数十年に一度、選ばれた娘を「神子」として崇めるというものがあった。
「神子」はその生涯に渡り、村人を好き勝手に傷つけ、殺戮する。特に残虐になるよう育てる訳でもないのに、彼女らは例外なく殺傷を好む性質となるのだ。
記録にある最後の「神子」の名は「ときこ」。あるときY村と外部の連絡が途絶え、隣村の住民が調べた所、百人ほどの村人は皆殺しにされていたという。凄惨な拷問を受けたと思しきそれらの骸は、しかし全て恍惚とした笑みを浮かべていた。
なお、当時十歳の「ときこ」の消息だけは、今に至るもわかっていない。
それは何処かの誰かのお伽噺。
史学界で知られた話として、「紀元前500年の中断」というものがある。紀元前500年から400年までの約百年間にわたり、欧州、中国、アジア、中東といったいずれの地域においても歴史書が断絶しているのだ。世界的な異常気象によって混乱がもたらされていたと論じる者もおり、実際にそれについて記した碑文なども発見されている。
史料が乏しいこともあってこの学説は一般的ではないが、しかし昨今発達したDNA解析によれば、紀元前500年以前の「人類」と、紀元前400年以後の人類のDNAは、生物学的に全くの別種といっていいほど構造が違っているという。
果たしてその百年には何があり、そして今の人類はどこから来たのだろう?
それは何処かの誰かのお伽噺。
1977年、フランス北東部の町カリロフスで、二十歳以上の男女が大量に殺害されるという事件があった。百人近くの被害者たちは、白昼の街中で見るも無残な有様で殺害されたにも関わらず、しかし目撃者は皆無だった。
事件は結局、犯人と疑われた移民の男が取調中に病死したことで幕を閉じたが、1990年代にジャーナリストのゴラン氏が追跡調査を行っている。それによると容疑者は明らかに冤罪であり、街ぐるみで真相を闇に葬ったというのだ。
それを聞かされた知人は、何故そんな事が、と当然のようにゴラン氏に問うたが、彼は口を歪めてこう答えたという。「当時、町に在住していた小学生児童、約1300人。そのほぼ全員が殺害に加わっていたなんて、誰が公にできるというんだい?」
それは何処かの誰かのお伽噺。
真言宗の開祖である空海は、その生涯の最後において高野山奥の院の霊廟に籠り、入定した。以後、霊廟は閉ざされ、外部の者は誰一人として立ち入ることが許されていない。
1970年代の半ば頃、とある雑誌の記者がその霊廟を取材しようと強引に押し掛けた。
高野山の僧が頑なに立ち入りを拒もうとする中、記者はかなり暴力的に霊廟に入り込もうとしたのだが、そのとき、廟内から「静かに」とたしなめる声がたしかに聞こえたという。
件の記者は直後に事故死したが、その死はほとんど自殺に近いものだったと記録されている。
それは何処かの誰かのお伽噺。
かつてエジプトに存在したアレクサンドリア図書館は、世界中の書物が集った場所として史実に刻まれている。図書館はその後崩壊、ためこんだ書物も焼失・散逸しているが、1980年にエール大のリシェル博士が発掘調査によりそれらの蔵書の一部を発見した。
そのうちの一つは、現代においても解読不可能の文字で記されていたが、表題に記された象形文字が「世界」を意味しているらしいことはどうにか判明した。リシェル博士はその研究に熱中したが、どうにか解読できそうだ、と家族に漏らした翌日、謎の自殺を遂げる。
残された遺書には「世界の真の姿がわかってしまった。しかし私はそれに耐えられない」と記されていた。
それは何処かの誰かのお伽噺。
1980年、某オカルト雑誌のライターであったN氏は、「悪霊に憑かれた少女」の噂を聞き、その取材を試みた。
青森在住というその少女の父親とコンタクトを取ったN氏は首尾よく少女本人と出会えたが、少女が至って朗らかで明るい普通の少女であり、語る内容も平凡であったことに拍子抜けした。
無駄骨であったかとN氏は帰京したが、取材内容をどうにか脚色して記事に仕立てている最中、奇怪な噂を同僚から聞かされる。
件の少女は半年前に事故死しており、精神を病んだ父親は日頃から娘が生きているかのような言動を取っているというのだ。
果たしてN氏は誰に出会い、誰に取材したというのか?
それは何処かの誰かのお伽噺。
十九世紀末頃、フランスの富豪リュトーシュ家の末娘が五歳にして病死した。家族はその死を悲しみ、少女が大事にしていたビスクドールを一緒に埋葬した。その後、フランスがナチスドイツに占領された頃。件のビスクドールがとある高名な職人の手になる美術品であることを知ったナチス高官の命令により墓が暴かれた。
十字を切りつつ棺を開けた兵士は仰天した。記録では三十センチ足らずとされたビスクドールは、発見時には一メートル以上の大きさで、棺の中で窮屈そうに膝を丸めており、そして小さな白骨体は所々が貪り食われたように欠けていたという。