私の心は今日は荒れています。今日時間に余裕があったのでツインと思われる彼のお店に行こうとしましたが、向かう途中からいろいろと自分の苦悩が噴出してとうとう会いにいけませんでした。

 

ちょっと語ります。長いです。

 

 

私の家族は毒家族です。

私は幼少期からしっかり心身症の兆候がありました。ロストワンタイプのアダルトチルドレンなので感情を抑えて抑えて抑えまくって過緊張で幼少期から生きてきたようです。本人としてはそれが普通なので実は異常であることがわからなかったようです。

 

なぜそんな自分を抑えないといけなかったのか分析したところで外れている可能性も大ですが(よく本当の原因は本人にはわからないと言いますよね)、私は三人年子きょうだいの真ん中で(3人年子は三つ子を育てるより大変だと言われます)生まれた約50年前は同居していた祖父祖母がちょうど死期を迎えていてそのお世話で母が疲弊していたと思われます。父は実家を継いだ末っ子長男(上に6人の姉しかいなかった)で当時会社に朝の7時から夜の10時ごろまで働いていて家事のいっさいをすることはなく、近所に住む父方の伯母が母がきちんと祖父祖母の面倒を見ているか偵察のため3日とあけず夕食時に子供を連れてお邪魔していたと後々聞きました。

50年前と言えば紙おむつ、全自動洗濯機、電子レンジもない時代でいくら体力がある若いころに私らを産んだとは言え、乳飲み子を抱え出産して半年もしないうちにまた妊娠して(もうちょっと間をあけて産むとかなぜ計画的にしなかったのだろうか。。)ヘルパー制度も満足にない時代で家で祖父祖母を最後まで看取る(もちろん最後の最後は入院したと聞いています)というのはどう考えても大変だったと思います。

 

また父の性格というのが男尊女卑でユーモアがなくて怒りっぽく会話が弾まない笑いがないという緊張感が漂うもので母はますます追い詰められていたと思います。時々実家の方角を見て泣いていたそうです。

 

私の上は姉、下は弟です。最初の子供である姉はもともと一人っ子にするつもりはないだろうから男でも女でもいいだろうという気持ちだったと思いますが、二人目は絶対男の子が欲しかったと思います。それが私が女で生まれたものだからおそらくがっかりしたでしょう。そして弟が生まれてやっと母は本家に嫁いだお役目を果たした気持ちだったろうし弟を溺愛していただろうと思います。そうでなくても母親は息子を娘より溺愛するのは本能のようですし。だから弟は自己肯定感が非常に高く育って今は超エリートサラリーマンです。

 

私は幼少期から母の忙しさ余裕の無さを感じて自分を抑えることで迷惑をかけないようにふるまっていたのだろうと思います。母もそれが都合が良くて次第に私の気持を感じ取ろうとかケアしてあげようということもなくなったのではないかと。

 

母からは精神的ネグレクトを受けていたと思います。私には右肩の広範囲に痣があったのですが母はそれに気づいても皮膚科に相談してみようかとかそんなこともなく、風邪をひいて苦しんでいる横でおかゆをつくってもらうこともなく普通にご飯を食べるような親でした。母は父からも頭が悪いと馬鹿にされていた一方で私はなぜかあまり努力しなくても学年一位の成績だったのでおそらく本人は意識化していないのですが私に嫉妬していてそれで無視をするという受動攻撃をしていたのだと思います。

 

父は父で仕事の忙しさもありますが、癇癪持ちで私の習い事をある日突然辞めさせたり(おそらく支配のため)ささいなことですぐ怒り誰のおかげで生きているんだ?文句を言うなら家を出て行けと簡単に言うタイプの人間でした。完全にたちの悪い支配者です。

 

小学4年生まではそれでも小学校に友達もいて楽しかったのですが塾に通うようになると成績が期せずしてグングン伸びて私が5年生のころに学年一位の成績になったころから同級生からも先生からも吊るし上げをくらうようになりハブられたり外見を執拗に馬鹿にされたり、暗いと馬鹿にされたり、暗黒の日々が始まりました。

 

何やっても体育以外は人並み以上にできたのですが自分が特別すごいと思っていたわけではなくて、たいしたことのない自分ができるのになぜ他の人はできないのだろうと不思議で他の人になんでできないの?と言ってしまっていた時期もありました。こちらに全く悪気はなかったのですが必死にやってもできない子たちからすると嫌味に捉えられていたようです。それだけ私は世間知らずだったのですね。でも傷ついたと言われたらきちんと謝りましたしそれ以降はそんなことは言わなかったと思いますが、今度は形勢逆転したと思ったのか周りは段々と私を傷つけるようになりました。いつも私だけがいじめのないクラスでハブられ人前で馬鹿にされていました。

 

おそらく成績が一番の子を凹ませると気分が良かったのでしょう。

 

姉にも執拗にいじめられました。20歳で姉が都会に就職するまで約10年陰湿ないじめをされました。無視、あざけり、外見を馬鹿にする、私のやることなすこと全て馬鹿にしてきました。ある日昔みたいに普通の姉に戻ったと喜んだらまた次の日には憎そうな目で見られたり無視されるの繰り返しで私は疲弊してノイローゼになりました。姉は正々堂々努力しても私には敵わないことを早々と悟り、それなら精神的苦痛を与えて私を潰してしまおうと思ったようです。そんな意地悪なきょうだいがいるのかと思う人もいるかもしれませんがいるんです。弟は弟でとても冷酷で私に一生忘れられないぐらいショックな暴言を吐いたり、とにかく学校も家庭も針のむしろでした。

後々父母に私が姉にいじめられていたことに気付いていたか聞いたら一度も気づいたことはないと言われましたが子供は学校にさえ行ってりゃいいんだという考えしかない親だったので無理もありません。普通は3日もあればこのきょうだいは仲が悪いぐらい気づくと思いますが母は無意識にネグレクトをしていたので気づいても気づかなかったということにしたかったのだと思います。心身症で体調が悪化してもうっかり口に出せば、うるさがられるような家庭でした。

 

高校は進学校のトップクラスにノイローゼながらも入り、最初のころはクラスで一番計算も早かったのですがこの高校でもまた私を執拗に馬鹿にする同級生がいて絶望しました。私は寂しさからなぜか馬鹿にされても言い返せなくて、ずっと我慢我慢で過ごしました。

私は当時ものすごい脚がO脚なこともあり同級生に短足を馬鹿にされていたのですが正直彼女の足もそんなに長くないと思っていました。ある日身体測定で私を馬鹿にしていた人のほうが私より身長が低いのに座高が高いつまり実質私より短足だとわかったのですが(身長マイナス座高は単純に足の長さではありませんが私たちは中肉中背で特別太ももが太いわけではなかった)それでも彼女は私に短足と言い続けました。私は嫌われたくなくて言い返せませんでした。彼女には教室で嗤いながら顔に消しゴムを投げつけられたりして一時期は憎くて殺してやると思っていました。私の顔はどこにでも転がっている普通の顔とも言われたりなぜか同じ高校にいた私のいとこの顔までかっこよくないと馬鹿にされていました。

 

なぜか私のまわりは冷たい家族と冷たい同級生と先生しかいませんでした。誰一人心を許して頼れる人が幼少期からいなくて、でも寂しいからひどい扱いを受けても何にも言い返せない。いつも胸には鉛が埋まっているような閉塞感でした。

 

高校でノイローゼが本格化して夜は眠れず学校では眠くてしかたない、勉強も姉が私の成績が上がることを嫌がっていることを無意識にくみ取って勉強もしなくなり成績はガタ落ち、その後は浪人してもたいした大学には行けませんでした。弟よりポテンシャルは高かったと思いますが本気のノイローゼになると簡単な計算もできなくなるし文字を読んでも意味が分からなくなるのですね。

 

その後はアルバイトやパートにしか就けずますます自尊心も下がり、外見を執拗に馬鹿にされていたので醜形恐怖症とノイローゼを抱えてリアル車輪の下のハンス状態で、いつか自分は自殺するか精神病院に行くんだろうなと思っていました。

 

パニック障害も加わりいつも出るのは溜め息ばかりでした。一方私を苛め抜いた姉は就職活動一日にして良い会社に就職、旦那さんはその会社で一か月のうちに付き合いはじめました。私を虐めていたころから姉はいつも彼氏と遊び惚けて努力をしている姿を見たことはありません。勉強しなかったのでいい大学には行けなかったものの姉はいつもラッキーでした。

私がいじめを辞めてほしいと頼んだにも関わらずフンと鼻で嗤っていた姉。なんでこんな姉の妹に生れたのかなと未だに悲しい気持ちでいっぱいです。もし姉がいなかったら全然違った人生だったろうなと思います。

親も毒親なのにきょうだいも毒でした。

 

 

自己肯定感が地に落ちているので恋愛も自分を知られたら嫌われると思い込んでいました。。

時々自分を好きになってくれる人もいるけど自分は好きになれない。断るのも辛い。

普通に結婚して子供を持つという普通の人の幸せが私には全く見えませんでした。30代もひどい焦燥感と孤独のうちに終わりました。いつも姉や同級生を憎む気持ち自分を惨めに思う気持ちは消えず私が一人でパートをして貯金もできず孤独に生きているなか私を馬鹿にして喜んでいた人たちは夫や子供に恵まれて安心して幸せに暮らしている。神も仏もないと本当に思っていました。

スピリチュアルを勉強実践しても一番欲しかった彼氏とか温かい家庭を持つことはずっと叶いませんでした。どれほど泣いてきたかわかりません。

 

幸せになりたくてやった様々な努力も裏目にでることが多かったです。

なんでも勉強して努力して出来るようになっても、最初より悪い結果になるということが多かったです。

 

40歳目前にひどい花粉症を治したくて自然食を続け断食を何度もしたのに花粉症は全く治らず、それどころか難治性の皮膚炎を発症したり(約9年苦しみ続け今はある薬のおかげで症状が出なくなりましたが顔に赤みが残るという後遺症はあります)。私にマウントしたい人から人前でブツブツと笑われたり化粧品の売り子さんにうわー!って言いたくなるような肌と言われたりしました。何時間もかけて毎日いい治療法はないか検索するようなノイローゼじみた行動を何年もしていました。

 

40すぎてからも父から暴言暴力をうけてまた新たにノイローゼ気味になりました。父は子供の頃感じていた以上に人間的にクズでした。私に夫がいたら暴言暴力もなかったでしょう。父を殴り殺してやるというぐらい憎むこともありました。人を憎むということは本当に辛いことです。思えば幼少期の頃から支配されていました。

 

人の意識指数がわかると言う人に自分の家族を見てもらったことがありますが私の家族は私以外はこの間まで狐やタヌキなどの動物でしたというレベルの意識指数だと聞いて正直納得しました。日本人平均より大幅に低いのです。人を苛めたり無視したり支配して暴言暴力をふるい自己正当化する人達の意識指数が高いわけがありません。同級生や先生も似たようなものだったのでしょう。私の意識指数が相対的に回りより高かったので癪にさわる人達の標的にされていたのだと思います。

 

私の今までの過去世の行いのカルマを清算するために悪いことばっかりが起ってきたのかもしれません。もしそうなら神様本当にすいませんでした。もう勘弁してください。

 

 

今日も一人でおいしくもない残り物の夜ご飯を食べて、寂しくて惨めで誰か愛する人のためにご飯をつくり一緒に食べたいと切に願いました。

 

どうしてこんなささやかなことすら一度も叶わないのか神様教えてください。なんで私の人生は子どもの頃からこんなに孤独で辛いのか教えてくださいと今日涙ながらに尋ねました。相変わらず答えはわかりません。

 

フルマラソンを人生に例えるならば私の人生は最初からマイナス地点にスタート地点を設定され、さらに水分補給も与えられない。

 

一度でもたとえお別れがあっても良かったから誰かに愛され私も愛したかったです。子供を産んで育ててみたかったです。

親も深いところでは全くこころが通わない。きょうだいにも恵まれない。人様がきょうだいで助け合い仲良くする姿を見ると自分と比べて未だに悲しくなります。

せっかく新しく友達ができても会話泥棒になったりマウントしてきたりして粗末に扱われるのでご縁が切れる。せめて子供時代は暗黒だったけど大人になったら優しい夫に出会って幸せとかそんなのもないんですかね。ずっと暗黒ってなんなんですかね。私がそんなに人と比べてダメなんですかね、お願いだから正解を教えてくれ。

 

ツインレイと思われる彼も自分に本当に自信がなさそうだと思ってますが、私は私で今まで一度たりとも恋愛結婚において幸せになれたこともないのに今後本当に幸せになれるのだろうかとそのプレッシャーみたいなものをひどく感じてもうどうしようもない気分になるのです。この気分では到底彼の前で笑顔になれないのです。

せっかくツインレイというご縁の最終形態に出会ったようなのに、結局付き合うことすらできていないということが辛いです。

もうあと数か月で出会ってから2年たつのに。。

 

サイレントだと言うなら普通のツインレイカップルみたいに男性から交際を申し込んでもらって付き合って心が一度でも通じあってから音信不通だったらまだマシだと思います。

いくら占いでツインレイだ彼はあなたが好きだと何度鑑定されても実際はつきあったこともないのが現状です。自分の感覚を信じるしかないけどこれいつまで続くんですかね。

 

ちょっと疲れましたね。2年近くは疲れますよ。

 

私は神を憎んでいます。幸せになれない自分を憎んでいます。とにかく疲れました。肯定的な言葉で締めくくることもできません。今回はこれで終わり。