こんにちは。4回生の藤山拓紀です⛄️
先日、人生の大半を占めていた水泳を引退しました。
ほとんどを水泳に費やしてきた人生だっただけに、急にそのすべてがなくなると、すっからかんになっている毎日です。
しかし、この無常な世界だからこそ、水泳を通してさまざまな感情を学ぶことができたのだと思います。
最後のブログ。
同期の中でも圧倒的に長いので、本当に時間がある時に読んでくださいね笑
私は幼少期から全国大会に出たこともなく、高校3年生で一度は引退をしました。
高校の同期が大好きで、これ以上に楽しい時間はもうこないだろうと思っていました。
でも、兄に誘われて気づいたら立命に体験に行ってたんですよね笑
誘ってくれた兄には、本当に感謝しています。
兄は同じ立命館で、僕が1回生のときには4回生。専門も同じ平泳ぎでした。
本当にストイックで、50mのHARDラスト1本を100mに変えるくらいの人。
後輩とも仲が良く、優しい先輩、そして兄でした。
何より僕が絶対に越えないといけない存在でした。
僕が立命として出る初めての試合で兄はインカレ標準タイムを初めて突破し、大号泣していました笑
あの秋葉山に響いた歓声は、今でもはっきり覚えています。
当時の僕は、その喜びを本当の意味では理解していませんでした。
自分もこのままいけばインカレに出場できる――そんな甘い気持ちを抱いていたのです。
1回生の頃はタイムがぐんぐん伸び、短水の200Brはおよそ5秒近く速くなりました。
2回生、一気に崩れ始めました。
今振り返ると、その時期は「劣等感」や「嫉妬」という言葉が1番しっくりきます。
後輩も同期もインカレに出て自分は出れていない。
チームには、インカレは当たり前と言う人も周りにいる中で、自分がここにいていいのか。
タイムが出なく、遅い自分は邪魔なんかじゃないかと思うまでにもなりました。
自分がちっぽけだなと思い、毎日部活に行くことが正直鬱でした。
どうしてあのとき、自分の可能性に自ら蓋をしてしまったのか。今でも悔しくてなりません。
その期間のことはあまり覚えていないのですが、病院に通い薬を服用するまでになりました。
いわゆる鬱病です。
体重は5kg以上減り、何をやっているのかわからないところまで来ました。
どのようにすればいいかわからないまま、劣等感を感じながら3回生の夏まで過ごしていました。タイムも全く上がらず、自分には才能がないと思いながら泳ぐ毎日でした笑
そらタイムでないでしょって今になってやっとわかります。
そして、僕達の代になり、副主将という立場に立ちました。
「藤山拓紀にしかできない副主将」というものを必死に追求していきました。
一つ目はみんなに「役割」を持ってもらえるようにすることです。
全員が「この部にいたい」「ここで活躍したい」と思える環境をつくりたかった。
それぞれの存在を認め合い、各自が自分の「役割」を全うできるチームにしたいと願っていました。
正直に言えば、それは自分自身が「水泳部にいていい理由」を見つけたいという思いの裏返しだったのかもしれません。 それでも、みんなと関わることに力を入れました。苦手意識を持っていた後輩とも、気がつけば毎日一緒に過ごすようになっていました。
二つ目は「後ろから支える」ということです。競技力の面でも私は前に立って引っ張るタイプことができないと感じていました。
だからこそ、チーム全体の動きを客観的に把握し、陰で支えることが自分にできる役割だと考えたのです。
「話を聞くだけで動いてくれない」という声があったことも知っていますし、当時からさまざまな意見があったことも理解していました。
それでも、自分に与えられた役割を最大限に果たすことを意識していました。
勝手な考えだったかもしれませんが、それが自分なりの責任の果たし方でした。また、必要なときだけ前に出て、終わればさっと身を引くこともありました。そのたびに主将には余計な負担をかけてしまったことも、自覚しています。
そんな僕のラストシーズン。本当に充実していました。
それは、「後輩」がいてくれたからです。これは言い切れます。
特にミドルパートのみんなには感謝してもしきれません。
新チームが始まった時にメニュー作成者の上根に、「本当に上根を信じて、全て託します」と伝えました。
この年齢になって、誰かのことに違和感を持たずにただただ信じて物事を行うことは本当に難しいことだと思います。
でも、それくらいやってやろうと思いました。プライドを全部全部、捨ててやりました。
黙って歯食いしばって、どれだけ遅くても死ぬ気でもがき続けました。
足が攣る以外は、本当に真剣に練習に取り組みました。
この1年が、今までの水泳人生の中で1番頑張ったと言い切れる自信があります。
そんなメニューや声掛けを上根そして、ミドルパートのみんなはしてくれました。
男だらけの暑苦しいパートで、毎日きつい練習の中でも笑いながら頑張れました。このミドルメンバーがいてくれたから頑張れました。
ありがとうございました。
また、竹内慶悟っていう感謝してもしきれない後輩が僕にはできました。
どれだけ遅かろうが、慕ってくれて、励ましてくれて、僕が折れずに入れたのも慶悟の存在が必要不可欠でした。
話し始めると多分止まらないのでカットします笑
そんな彼と3回生の1月くらいからある約束をしました。
「練習後どれだけしんどくでも最後にdiveをする」
吐きそうになっても、無理無理言いながらも、上根も合わせて3人でスタート台に立っていました。時には、三笠も増えて4人になることもありました。
彼らに勝ちかけた時もありました。ほとんどが、ぼこぼこに行かれる日でした。それでも楽しかったです。
4回生はあっという間でした。教育実習・教員採用試験などが重なり、1ヶ月以上部活には顔を出せませんでした。でも帰ってきたら「居場所」がありました。
クソ嬉しかったです。まだまだやってやろうって思えました。
っていう感じの自分語りでした。話したら止まらないし、読むのも飽きると思います。
ここまで読んできて、僕の水泳人生はみなさんにどう見えているでしょうか。
1度も全国大会にもいったことがない選手というのは、立命館の中でも少人数だと思います。
哀れですか? 興味もないですか?
そんな風に思われるは慣れっこです笑 僕はそんな感じで生きています。
注目されなくても、話にならなくても、僕の水泳人生は確かに存在しました。決して、誰かに消せるものではありません。
そして、誰にどう見えたとしても、僕の水泳人生は充実していた。確実に充実していました。
ここからは私がこの4年間で感じたことを後輩たちへ話したいと思います。
この下からは、本当にしっかり読んでほしいなって思います。
僕がみんなに伝えたいことは、「ありがとう」という気持ちです。
僕らの代では、色々なことがありました。ミーティングで喧嘩もしました。
マネージャーさん達が、離れていってしまうこともありました。
それでもそのメンバーも含めて関西インカレ、みんなで戦いました。
これからの人生で、あんなに感情むき出しでみんなで何かに取り組むというのは、2度とないと思います。
あれだけ「悔しい」という感情と「感謝」の気持ちが一度に味わえることもないと思います。
予選落ちをしてしまった選手が謝りに来てくれたり、8継のメンバーが泣いて謝ってくれたり、慶悟が裏でたくさん泣いてくれたこと。
貴範が200IMのランキングが出た時に、しゃがみ込んでしまったこと。チームのことを考えて、スタンドに笑顔で帰ってきたこと。
もう常に涙が出そうでした。感情をコントロールするので精一杯でした。
それでも、僕からしたら、みんながチームのために戦っていると思うと、嬉しくて仕方がありませんでした。
僕たったひとりでは決して味わえない景色を多く見せてもらいました。
こんなメンバーと同じ立命館で本当に良かったと思いました。
本調子ではなかったのですが、あの場でベストが出せたことは、本当に自分の中でも価値のあるものになりました。自分の親以外の保護者の方にも応援してもらったり、何か感じてもらえたこと、そのことを美味しいご飯を食べながら、話してもらえたこと。
自分がこんないい思い出していいんかなって思うくらいいでした。
それでも、根幹には、活躍できない悔しさがもう溢れまくっていました。悔しくて自分が憎くて仕方ありませんでした。
なぜ、後輩に謝らせているのか。なぜ、悔し涙をあれほど多くの人数が流さなければならなかったのか。
ここでなぜ活躍できないのか、ここで得点を持って帰ってきて、笑顔で終わりたかった。
でもこの気持ちは、僕にしか味わえないものであり、今の後輩には決して味わってほしくない感情です。
だからこそ、生意気言うのですが、活躍できる後輩・これから活躍できる可能性がある後輩には本当に頑張ってほしいと思いました。
決して可能性に蓋をしないでください。本当にかっこよくて羨ましかった。
本当にありがとう。
それだけではありません。
「絶対」はない。このことを僕らの代で、全員で痛感しました。
0.03秒で全てが決まりました。たった0.03秒で。
水泳という競技は、たった数分のレースのために、たった0.03秒のために、息を止めて、何時間も何キロも泳いで、普段では決して感じることのない乳酸、心拍数、大量の汗、体の痛みを感じる競技です。報われて当たり前だと思えるくらい過酷な競技をしています。
そんだけしんどいことをしても、報われないこともあります。どれだけ努力をしても報われない後輩をインカレで見ました。
1年間無駄にしたってそいつは言ったんですよね。
でも、現実はどれだけ悔しくて、自分が非力に感じても、前に向かって進んでいくしかないんですよね。あまりにも過酷すぎます。
また、何キロも何時間もかけてたった数秒のために、きつい練習を繰り返すしかないんです。
三笠が言っていたのですが、大学の部活というのは、EX(エクストラ)ステージです。
それでも、水泳という競技は、大学というEXステージにしては難易度が高すぎます。
それでも、やる価値は十分にあります。そして、誰が何を言おうとそこで戦っているみんなは、本当に本当にすごいし、かっこいいのです。
部活に入っていない学生、周りの人がどうであろうが、聞き流せばいいと思います。羨ましくても、見なければいいです。
ここまできて頑張れるみんなの方が本当にかっこいい。そしてこれからの人生の財産に確実になります。
どれだけ速い選手が何をいってこようと、無視しとけばいいと思います。
みんなの水泳人生は、他人に決められるものではありません。だって最後泳ぐのは自分なんだから。
自分が今やっていることを最大に自慢できるくらいに自信を持ってください。
この4年間水泳にかける価値は十分にあります。
本気で頑張って、本当にやり切ったと思えるところまでやってほしいです。
そうすれば、引退するときに、どんな結果であっても、必ずやっていてよかったと思える日が来ます。
全国に一度も行けず、活躍できなかった僕でもこう思えたのです。
そして、「強い選手」になってもらいたいです。「速い」と「強い」は違います。
これは、古川さんが最後に僕にかけてくれた言葉です。僕は「強い選手」になれたそうです笑 僕には実感がありません。
でも、嬉しくて涙が出そうになりました。
水泳という競技は、数字という結果で全てランキング化されます。
どれだけ努力していようが、遅ければ負ける。そんな残酷な競技です。
でも、競技力だけでは完成しないパズルが、大学水泳なのかなって思います。
これからのみんなには、このピースを探してもらいたいと思います。
このピースが揃った時に、「強い選手」に近づけるのではないかなと思います。決して1人で完成するものではなく、みんなで見つけるものだと思います。
だって、あのルフィでさえも、ワンピースを見つけるために仲間と協力しあっているんですから。
僕には手にすることができなかった「競技力」というピースは、みんながくれました。
選手だけでありません。自分が何か記録に残るわけでもないのに、練習・試合に来てくれるマネージャーさん・田中さん・古川さん・学生サポーターの皆さん。いつも支えてくれている保護者の方。
決して1人では、この大学水泳というパズルは完成しません。
いつか、このパズルをみんなには完成させてほしいと思います。
僕はみんながピースを埋めてくれた擬似の「強い選手」にはなることはできました。
「強い立命館」で本当の「強い選手」になってください。
だいぶ長々と偉そうに話してしまいました。
慶悟のことも上根のこともみんなのことももっとを書きたいです。
こうよう、三笠、啓将、たかのり、ゆいと、こう、善太、たいが、健人。
ミドルパートだけではありません。本当に全員です。
皐馬さん、龍祐さん、中野さん、耀平さん、甲斐さん、駿さん、勇太郎さん、そうたさん、陽大さん、エリツクさん。
タカタさん、はやしこさん、久慈さん、イノッチさん、やまちゃん、シバガッキーさん、こにプロさん、兄貴
男性の方、ばかり上げましたが、本当にキリがありません。
本当に最高の人たちと水泳をやってこれて幸せでした!
ここまで思えるためには、決して1人では無理だったと思います。
たくさんの先輩と出会うことができました。
尊敬できる同期にも出会いました。
たくさんの後輩とも出会いました。
たくさんの「出会い」の中でこの水泳という個人競技に出会えたことを誇りに思います。
最後に、感謝の気持ちコーナーやって終わります!
兄へ
僕の兄は本当に優しいです。でもその優しさが時に苦しい時もありました。
どれだけ遅くても、頑張れって。負けるなって。たくさん声をかけてもらいました。
絶対に越えないといけない存在を越えることができませんでした。その度に、まだいけるまだいけると声をかけてくれた時は、悔しくて悲しくて、言葉には、言い表せないものでした。
決して兄も全国的に見れば速い選手ではないと思います。
それでも僕からしたら憧れの水泳選手であると言い切れます。
この立命館の水泳部に誘ってくれてありがとう。
⛄️&🍵
また、僕の知り合いには他の競技で駅伝メンバーとして戦っている選手、日本のトップクラスで戦っている選手がいます。
この2人も僕が水泳を続けてこられた大きな理由です。
時には、その人たちに嫉妬してしまうことがありました。
支えてくれている1番近い存在の人に嫉妬をするという最悪の性格を持っていました笑
それでも辛い時も、常に近くにいてくれました。
決して下に見ないで、同等で話してくれました。それだけで本当に嬉しかった。
レベルの低い僕の話を自分のように聞いてくれました。
またたくさんいい景色を見せてくれました。
その2人がいなかったらここにいたのかなと思えるほどです。
圧倒的な可能性を秘め、選ばれた者だけが立つことのできる舞台にいるのだから、その事実を誇りに、これからもその瞬間を存分に楽しんでほしいと心から願っています。
本当にありがとうございました。
毎回、メダルをかけてくれます。
カンカレ、インカレ、日本選手権。
毎回本当に嬉しくて、自慢の写真です。
こんな経験そうできないと思って噛み締めています。
このメダル以上の重みが毎回伝わってきます。
本当に感謝ばかりです。
ただの自慢です笑笑
最後に親へ。あんま長くは書きません。でも、思いは込めています。
ラストレースが終わった時に、親の顔が浮かびました。まず初めに思い浮かんだのは、申し訳ないという気持ちです。
通える距離なのに、ひとり暮らしのお金を出してもらって、たくさんの費用をかけてもらったのに、兄のようにインカレにいくことができませんでした。
インカレにいくことが全てではないとわかっていたとしても、これが僕にできる親孝行だと思っていました。すみません。
それでも常に支えてくれて、一つも文句を言わず、いつ帰っても、どれだけ遅くても頑張れって言ってくれて、笑顔で迎えてくれてありがとうございました。
水泳が大嫌いな時もあったけど、本当にこの水泳という競技をやっていてよかったと思います。
ここまで続けさせてくれて本当に本当にありがとうございました。
最後の最後に水泳という個人競技は、僕に最高のサプライズをしてくれました。
水泳をやっていて心から良かったという気持ちを教えてくれました。
あーーーーーー楽しかった。本当に幸せでした。
ありがとう。
これにて引退!さらば!!!!!!
勝舞
4回生 副主将
藤山拓紀