誇り高きマネージャー | RITSUMEIKAN Univ. SWIMMING TEAM

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立命館大学体育会水泳部公式ブログ

どうもエリックこと澤田です。

 

(ブログのバグで書き直しになったので日をまたいでしまいました。

本当に申し訳ないです)

 

多分ブログを書くのはあと2回なのかな?

引退ブログを除くとこれが最後になりそうですね

楽しいブログ生活も終わりが近づいて来ていると思うととても寂しいです。

 

タイトルの誇り高きマネージャーは今自分の中で再ブームしているHoneyWorksの曲である、誇り高きアイドルからパクってきました笑

 

なかなか迫力のある歌でとてもオススメです。

是非聴いてくださいね!

 

 

なんか去年も似たようなことを書いた気がするんですけどこのブログでこれまでやってきたマネージャーについてつらつらと語ろうかなと思います。

 

ただの自分語りです。この時期忙しい人も多いと思いますので本当に時間がある人だけ見てってください

だいたい9000字弱です。

読もうと思ってくれてる方覚悟しておいて下さい。

また、恐らく誤字多めなのでご了承ください。

 

 

水泳に関わり始めたのは多分幼稚園年中の5歳頃だったと思います。その時仲良くしていた友達がスイミングに通っていたからという理由だけで通いたいと駄々をこねて通ってました。

 

そのまま友達が辞めても自分から辞めたいとも言うことが出来ずズルズル続けて中学受験シーズンの小学四年生くらいまで続けてました。

 

 

運動をやめてからは勉強しかしてなかったおかげでそこそこいい中学に入学することが出来ました。

一応塾に通い始めるまでは水泳と並行して空手もやっていたので中学からもまた運動したいと思い水泳部に入部しました。

 

うちの中学は進学校なのに何故か水泳部は結構強いです。他の運動部は幽霊部員が多かったりするのですが水泳部だけは段違いで厳しく人間形成期である中高生の時にこのような厳しい部活に入ることが出来て良かったなと思っています。

 

水泳部には自分も含め周りの人達はスイミングに通ったことがある程度の初心者ばかりで、ずば抜けて速い人以外はたいして差がない状態でスタートを切りました。

 

最初は水と友達になろう(?)みたいなよく分からない感じでプールでパチャパチャチピチャパしてるだけだったのですが夏前くらいから厳しい練習もやるようになってきてとてもしんどかったのを覚えています。

 

しかし、競技水泳初心者なので試合に出る度にベストは出るのでやっていて楽しかったし、恐らく僕自身練習で自分を追い込むのが好きなのだと思います。

それでもめちゃしんどいメニューはほんとに帰りたくなるくらいでした。

僕が一生やりたくないと思ったメニューを紹介します。

 

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1000

1100

1200

1300

1400

1500

1400

1300

1200

1100

1000

900

800

700

600

500

400

300

200

100

サークルは100mにつき1:30です。

 

なんだこれは、トータル22500mとかいう鬼畜メニューでサークルに余裕がある時はトイレに行けますがサークルに間に合ってないのにトイレに行こうとすると怒られる始末、、、

5時間も連続であるんだぜ、やべーだろ?

 

この日swimなんで絶対にしたくなかったので足が痛いと嘘をついてプルブイを挟んでやりました。5時間もつけてると終わった頃には股がこすれて血が出てました。

こんなメニューもう一生やらないでください。

 

まぁこんな鬼畜なこととやらされていたのでメンタル的にはある程度は成長できたのかなと思ってます。

 

 

そんな中新中学3年の4月の学内合宿の時に違和感を感じました。

軽く50mを泳ぐだけで心拍数が180くらいになっていました。どんだけダウンしても180も心拍数があったらしんどいです。

 

後に病院に行くと心拍数がとても上がりやすい体質だということがわかりました。

お医者さんからもあまり激しい運動はおすすめしないと言われ当時ベストも頭打ちになっていたのと思春期が重なり急に全てのやる気がなくなり病み期というものに入ってしまいました。

親に水泳部の顧問に話をしてもらい部活を辞めることにしました。

 

別に勉強も元からそんなにやる気がなく水泳部に行くついでに学校に通ってたようなものだったので、部活をやめてしまったら学校に行く理由がなくなってしまい不登校気味になってしまいました。

 

ダラダラと日々を過ごし本当に死んでしまいたくなる時期もたくさんありました。

そんな何も無い日々を過ごしているとすぐに夏休みを迎えることになりました。

 

中学1,2年の時はほぼ毎日部活があり遊ぶ暇なんてなかったのですが部活がないとなると急に暇になります。

 

地元の友達とたまに遊んだりして暇を潰していましたが味気ない日々でした。

 

 

僕の地元に引越してきた同じ中学の友達があまり元気がないのを気にかけてくれました。

彼は動画編集や配信が好きな人で自分が配信しているアプリを僕に進めてきて是非聞きに来てくれと言われました。

 

まぁ暇やし見に行くかという感じで見に行ったのを覚えています。

 

僕の家はとても厳しく小学生の頃はゲームをするのはもちろんのことアニメや漫画も禁止されており、中学に入ってもスマホはリビング以外での使用禁止されていたのでYouTubeや配信のことなんか全く何も知りませんでした。

配信で他の人の話を聞いたり配信に来た人達と話すという経験はとても珍しく新鮮なものでした。

 

最初はその友達の配信にだけ行っていたのですが、彼に他の人の配信に行ってみなよと言われたのをきっかけにある女性配信者の所に行ってみることにしました。

 

特に有名な配信者というわけではないですが小規模ながらファンもいるような人の配信にお邪魔することにしました。

多分その方も学生だったと思うのですが夏休みだったので毎日配信しており、暇な僕も毎日通うようになりました。

 

ある程度仲良くなるとお互いの話などをするようになるもので、僕は水泳部に入ってたことと退部した経緯などを話しました。

 

配信者の方は親身に聞いてくれて色々な励ましの言葉をかけてくれました。

話を聞いてくれたときは身体から水分が無くなるくらい号泣してたと思います。

 

人に話すってのは心がスッキリするもんでこの経験がなかったら多分立ち直れずに今この場にいなかったと思います。

今その配信者の方は引退されて連絡する手段も何も無くなってしまったのですが感謝してもしきれないです。

本当にありがとうございました。

 

その女性配信者の配信に行くというのが生きがいになり、夏休みが終わったあとは不登校気味だったのが少しマシになりました。

 

 

それでもやっぱり登校頻度は決して多いものではなくそれを見兼ねた担任の先生に呼び出しを食らう羽目になってしまいました。

 

うちの学校では水泳部に入った生徒は多くの先生にマークされがちなので密かに過ごしていても割と目立ってしまいます。

 

呼び出しを食らい不登校気味なことを指摘され、部活はどうなのかと聞かれた時に初めてネットではなくリアルで部活関係者以外の人に退部していることを告げました。

そこで退部した経緯などを全てな話しました。

 

部活が無いと学校に行く気にならないと言っても厳しいことは言わずに親身になって聞いてくれてその後も色々気にかけてくれるようになりました。

 

先生は学校に来る理由を作るための提案として文化祭を頑張ってみるのはどうかと言われたので文化祭の実行委員会に入ってみることにしました。

僕が入ったのはアミューズパートでアミューズというのは来てくれた方が遊べる施設を作り運営するというパートで中3の時はボウリング施設を作りました。

 

このパートには文化祭期間中に練習をしたくない水泳部の人達が数人流れ込んできておりその人たちとは退部して以来久々の再開となりました。

 

僕が急に退部したのにも関わらず彼らは酷いことも言わずに仲良くしてくれました。

文化祭を通して彼らとまた一緒にひとつの物事に取り組み、改めて水泳部のみんなが好きなんだと気づけました。

 

文化祭が終わりまた担任の先生に呼び出されて調子はどうかと聞かれました。その時にやっぱり水泳部が好きだと言うと先生からある提案がありました。

 

それがマネージャーです。

 

僕の学校は男子校+進学校だったのでマネージャーなんてものはまずどの部活もいなかったのでマネージャーをするという発想自体が全くありませんでした。

 

しかし、泳ぐことなく部活に居続けることが出来る手段としてはマネージャーは1番いいポジションです。

 

顧問の先生にマネージャーとして復帰したいというのはとても怖かったですが担任の先生の手助けもあり無事伝えることが出来ました。

 

顧問の先生方も帰ってきてくれるのに加えて陸でのサポートの人手が増えることをとても喜んでくれました。

 

ここからが僕のマネージャー人生のスタートです。

 

 

えー、長いっすね、

やっとマネージャー始めました

ここまで見てる人はいます?

 

ここまで見てる人はエリックファンですね笑

 

あの担任の先生がいなかったらマネージャーはやってなかったかもしれないです。

 

その先生は後に事故で亡くなられてしまったのですがずっと冗談を言ってるような人で笑顔がうるさすぎる先生でした笑

本当に尊敬している人です

 

僕の笑顔でみんなを楽しませたいってのはこの先生の生き様を意識しているのかもしれないですね

 

 

さて、ここからはマネージャーを始めてからのお話です。マネージャーをやり始めてからも色々な苦労がありました。

 

マネージャーを始めた頃はマネの先輩がいるわけでもないので何をしたらいいのか分からず、やっぱりみんな泳いでいるのに自分だけが泳がないってのが少し気持ち悪くあまり精が出ない日々を送っていました。

 

10月末からマネージャーを始めてなんともない日々を過ごし年末を迎えました。

年末には京都の学校が集まる合同合宿が始まります。

 

中学2年の時に経験はしているのですが、マネージャーとして参加するのはこの時が初めてでした。

 

普段の練習では他のマネージャーと関わる機会が全くなかったのでこの合宿で初めて他校のマネージャーと話すことになりました。

 

僕の参加した合宿は大きく6グループに別れており1つのグループにメニュー作成する先生1人とマネージャー2人がいる感じでした。

 

僕と同じグループになったマネージャーさんは2つ上の女性の方でメニューを作る先生はその方の高校の水泳部の顧問でした。

 

僕は人見知りなのも相まって初日は全然声も出せないし足を引っ張ってばかりでした。

2日目の午前練の途中でペアのマネージャーと先生にまだまだ声出せるぞ!と言われ無理やり大声を出してました笑

 

その女性マネージャーは不思議な方で彼女の周りにいる人たちはみんなニコニコしている印象がありました。選手たちはとてもしんどい練習をしているのにも関わらず彼女の声掛けなどにも笑顔で返し彼女自身も笑顔が絶えない人できた。

なんか言葉では言い表すことの出来ない魅力?的なのがあったのかもしれません

 

当時あまりマネージャーのことをよく分かっておらず、マネージャーとは何なのか迷走していた時なので彼女を見てとても驚きました。

 

僕はこの合宿で彼女のように自分も周りを笑顔にして元気づけたいという目標が出来ました。

「自分がいるだけで周りが安心する人になりたい」

「みんなを楽しませたい」

こんなマネージャーになりたいと思えるようになりました。

 

最初はここまで明確な目標ではありませんでしたが彼女のようになりたい一心で合宿の最後の方は食らいつくように一緒にマネージャーをしてました。

 

合宿が終わり普段の練習に戻ると誰もが分かるくらい見違えたと思います。顧問の先生方も驚かれていました笑

 

 

年も明けて前述した目標も定まってきた頃に僕が手を出し始めたのがネタTシャツです。

 

僕は話をするのが下手で目標にしてる合宿の時のマネージャーのように人に声をかけるのがどうも苦手だったので見た目で選手たちに笑顔を届けようと思いネタTシャツを着始めました。

 

年明け後は合同練習と多く色々な練習に行く時にネタTシャツを着ていくようにしていました。

 

評判はめちゃめちゃよく僕が練習に行くたびにどんなTシャツを着てくるのかを楽しみにしてくれている人が大勢いました。

 

少しでも笑顔になってくれていたのなら着る甲斐が有るってもんです。

 

マネージャーの腕も他の人に比べるとそこそこ良かったので他校の先生方からも目をつけられたり気に入られたりするようになってきました。

 

高校1年から2年生の時なんかは僕の全盛期ですね。

京都のマネージャーと言えば洛星の変なTシャツのやつって感じになってました(盛ってます)

 

高2の頃には京都のトップレベルの練習のマネージャーをやらせてもらったりしていてマネージャーとしてのプライドが上がりきっていた所であの年末の合同練習が来ました。

 

高校3年の年末は既に引退しているので合同合宿に行けるのはその高2の合宿が最後になります。

 

合宿のチームは大きくわけて2つに分けられて競技力の高いチームと低いチームに分けられて別の場所で練習します。

 

高校1年のときは上のチームで参加していたので高2でも上のチームの合宿に行けると確信していました。

 

しかし発表された合宿のチーム分けを見るとまさかの下のチームだったのです。

 

まぁビックリしました。プライドが傷つけられた感じでした。

 

毎日提出している練習ノートに何故自分が下のチームに入れられているのかという怒りの文章を見開き1ページくらい書いて提出しました。

 

当然昼休みに校内放送でお呼び出しを食らい顧問の先生が居る部屋に行きました。

 

 

僕は何故最後の合宿で下のチームに参加しないといけないのかを問いました。

 

そこで顧問の先生は理由を言いました。

上のチームに顧問を同伴すると下のチームへの同伴者がいなくなるところを高体連の先生方が澤田くんがいるなら顧問が同伴しなくてもいいだろうと判断して僕を下のチームに入れたと言いました。

そこでみんなに認められていることを知って思わず泣いてしまいました。体育教官室で他の体育教師がいるのに恥ずかしいですね笑

 

変なプライドを持っていたことがバカみたいです。

 

僕は部活の代表として自信を持ってその合宿に挑みました。

その合宿は今までやってきた合宿の中で1番楽しかったです。

 

ちなみに田中陽大くんとはその合宿で同じチームでした。それだけでも行ってよかったですね笑

 

下のチームの中でも6グループに別れており僕のグループには自分を含めてマネージャーが3人いました。1人は同い歳の人でもう1人は一つ下の後輩でした。

その後輩の子は前述した僕のマネージャーの目標となった人と同じ高校の子だったので特別に可愛がってたような気がします。

 

今でも忘れることが出来ないのですが合宿最終日、練習も終わり使ったプールの清掃を済ませて帰りのバスに乗る前にその後輩の子にどうやったら澤田さんみたいなマネージャーになれますか?と聞かれた時はめちゃめちゃ嬉しくて泣いちゃいそうでした。

 

確か、まずは自分が楽しむのが大事だよ的なことを言ったと思います。

 

なんかもっといいこと言えたような気がします笑

 

ここまで頑張ってマネージャーやってきて良かったなと思えるような合宿になりました。

 

後は高3の引退までまっしぐらって感じですね

 

最後の近畿大会で泣きはしませんでしたが喪失感というかやりきった感が凄かったのをよく覚えてます。

 

 

引退した後は大学に行く気が全くなかったのもあり、勉強は全くと言っていいほどやる気がなくずっと遊んで過ごしてました。

 

 

フリーター(浪人)生活の始まりですね。

 

 

さぁまだ読んでる人はいるのかな?笑

 

ひとまず高校生までのマネージャー生活はこんな感じです

 

ほんとにマネージャーという職業に着くことが出来て幸せだったなと思っています

 

さて、まだまだ続きますよ〜

 

 

 

 

では、ここで水泳とは離れ少し時間を遡り高2の冬頃の話です。

 

僕は病み期にお世話になった配信関係に再び手を出すことになります。

 

 

高1の夏にはあまり関わらなくなっていたので約1年半ぶりに関わることになりました。

 

 

今度は昔の自分のように人生に困っている人を救えたらいいなと思って始めました。

 

 

 

自分から配信をするというのは初めてのことで最初はとても緊張しましたが仲良い人ができていくうちにどんどんと楽しくなり毎日配信するようになりました。

 

 

色んな人と仲良くなって話をしているうちに色々な悩みを抱えている人に出会いました。

 

 

僕と同じで病んでしまっている人、親から酷い扱いをされてる人、学校でいじめられている人、、、

色んな相談を受けました。

 

ブロのカウンセラーってわけでもないので本当にただ聞いて共感したり自分の意見を言うくらいのことしか出来ませんでした。

 

しかし、彼らは話を聞いてくれるだけでとても心が軽くなってるように見えました。

やっぱり人に話すというのはとても大事なことなんだなと実感しました。

 

少しでも人の役に立てたのかなと思うと配信始めて良かったなと思いました。

 

 

ネットの海は広いと言うだけあり数年やってると様々な人に出会いました。

 

配信をしていない今でも仲良くしてくれてる人はたくさんいます。

 

その中で僕の人生観をガラッと変えてくれた人がいます。

あだ名の頭文字を取ってSさんとでも呼びましょうか

 

 

Sさんは僕が配信を始めた頃から大学に入って配信をしなくなる時までずっと僕の配信のマネージャーをしてくれていました。

ほんとに芸能人のマネージャーのような感じです。

 

 

女性の方で僕のひとつかふたつ年上の方です。

 

彼女はほんとにマネジメント力が高く配信中のサポートはもちろん、配信が終わる度に良かった点や直した方がいい点などを毎回電話で教えてくれるくらいでした。

 

 

本来マネージャーってのはこういう仕事する人なんだなと実感しました笑

 

 

 

高校を卒業して大学には行かずにバイトをしながらダラダラと過ごしているある時にSさんに「頭もいいんだから大学に行きなよ」と言われました。

当時、現役で合格した友達も楽しそうに大学デビューしてたので少し羨ましくなり自分も大学に行くことに決めました(あと、親がうるさいからね)。

 

 

大学に行くなら立命館大学というのは元から決めていたので大学決めにはさほど時間はかかりませんでしたし、立命館くらいだったらそこまで勉強せずとも受かるだろうと思ってました。

 

 

父親からは猛反対されましたがそんなの無視してヌルッと合格しそのまま入学しました。

 

 

高校卒業してからは先輩が行ってる大学の水泳部にお邪魔させてもらってマネージャーをすることはあったのですが部活に入ってまでマネージャーをする気は全くありませんでした。

 

 

一応立命館大学水泳部がどんな部活なのか見てみようと思って見学に行ったら先輩のワカホさんが無理やりLINEグループに入れようとしてくる始末、、、

 

 

僕が旧TwitterのDMで見学に行ってみたいと言った時点で僕のことを知っているやつが高校でマネージャーしてたことをバラしてたみたいです。

当時マネージャー不足だったので死ぬほどグイグイ来られました。

 

 

見学が終わってLINEを交換する前に上手く逃げれたので助かりましたがあの時は危なかったです。

 

 

時は少し流れ大学1年生の5月頃、浪人生の頃よりかはバイトが減りコロナ禍で毎日家で授業、夜は友達とゲームで毎日ダラダラと過ごしていました。

 

そんな時にSさんは僕に水泳部に入るべきだと言いました。

 

 

割とガチで部活に入りたくなかったのでなぜそう思うかを聞くと、高2、3のマネージャーをやってた時はとても輝いていたと言われました。

 

確かに高校生の時はイケイケだったし大学に入ってからはだらだらしてました。

 

さらにSさんはまたイケイケな姿を見たいと言いました。

 

Sさんは僕のマネージャーの目標や「みんなの役に立ちたい」という生き様を全部知っていたのでまたそれに向かって頑張ってほしかったみたいてます。

 

 

 

そんな熱く語られたらやるしかないよね

 

5月末にはまたDMで連絡して入部することにしました。

 

そこからはみんなが知ってる通りだと思います。

 

 

 

 

 

 

ここまで見てくれた人はいるのかな?

あんた、、相当暇だね?

それとも引き込まれる文章だったかな?笑

 

 

結構殴り書きなところが多いので読みにくかったと思いますが最後まで読んでくれてありがとうございます。

ほんとうにただの自分語りですいません笑

書いてたら止まらなくなっちまいました

 

 

一応写真を、、

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本日近畿医療学生水泳選手権の役員をしてきました!

 

立命館学連組も残りあとカンカレで終わりですね

 

写真は疲れて機嫌の悪いこうたくんと日当悪くて機嫌の悪い田中くんと琴谷くんです。

 

 

田中くんと琴谷くんは明日三重の試合頑張ってね!

 

 

他に試合出る方も頑張ってください!!!

結果良かったらメロンパン買ってあげましょう!!!

 

 

最後にここまで読んでくれた人にサービスでなぜエリックと呼ば始めたかを教えましょう。

あと少しだけなんで我慢してね💦

 

中学2年の時に同期の子に沢尻エリカからもじって、お前はこれから澤田エリックや!と言われたのが最初です。

まじで意味がわかりません笑

 

 

最初はエリックと呼ばれてなかったのですがマネージャーを始めて自分を変えようとした時にみんなにエリックと呼んで欲しいというようになりました。

 

まぁ簡単に言うとエリックってのは僕の理想としてる自分なのかもしれないですね

なんかエリックと呼ばれてる時はとても自信を持って物事に挑むことができるような気がします。

 

なんかようわからんすね笑

 

以上おまけコーナーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ僕の人生短いですが既に宝物がいっぱいです。

 

僕を押してくれたみんなに顔向けできるようにとりあえずは引退まで精一杯頑張ろうと思います!

 

 

 

長々と失礼しました!

 

 

 

 

4回生

エリック