こんにちは。
4回生の中野雄太です。
本日から、4回生の最後のブログが始まります。
トップバッターはあみだくじで一番を引き当てた中野が務めます。
自分のことを語るのが嫌いで、これまでは主に説話風のブログを書いてきました。
最後くらいは自分のことも書いてみたいと思います。
インカレまで、他大学の4回生のブログをたくさん読みました。
京都の幼なじみ、試合でよく名前を見かけた人、昔から全国で活躍していたトップ選手、全く知らない人、等。
インカレの目標だけ書いてあっさり終わる人もいれば、今までの水泳人生を振り返って熱い気持ちを伝える人もいました。
文章の長短は違えど、ブログに共通点があることに気がつきました。
大学水泳が特別だという思いです。
大学まで選手として水泳をやっている者の殆どは小学生くらいからずっと水泳に打ち込んでいます。
小・中・高、スクール・部活と色々な場面で水泳を経験してきた者が口を揃えて大学水泳に対しての特別意識を伝えるということは、きっと大学水泳には他ならぬ魅力があるのでしょう。
僕も立命館での水泳に対しては思い入れが強いです。
本ブログでは、僕の生い立ちから大学水泳までを振り返り、大学水泳の魅力について考察します。
拙い文章ですがお付き合い下さいませ。
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その前に、本日のメニューです。
オフ期間中は苦手なキックの強化に努めます。
今日もキックを多めに入れました。
今日は僕の練習にお供して下さる先輩方がいらっしゃって、楽しく練習できました。
明日以降も待ってます✌️
僕が1回生の頃はその日のメニューをブログに書くという決まりがありました。
この決まりが無くなってもう3年経つのですね。
3年半の大学水泳、あっという間でした。
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初めは高校までの振り返りも書いていたのですが、長すぎたので削除。
大学4年間を振り返りたいと思います。
入学前、立命館大学水泳部に対して僕はあまり良い印象を持っていませんでした。
指導者がおらず、何か緩そう。
何より、大学でベストを更新している人が殆どいない。長距離は殊更。
水泳部に対して否定的な印象を持っていた僕でしたが、高3の冬に、水泳部の年末合宿に参加する機会を頂きました。
「石水部長、足でか過ぎやろ。スリッパつま先しか入ってへんやん。」
という衝撃から幕を開けた合宿では、部長の足の大きさ以外にも驚きがたくさんありました。
10,000m泳がへん。
メインの日・リカバリーの日がある。
先輩方は皆さん練習のタイムが速い。
マネージャーさんが毎練習データを取って下さり、しかもラップの1/100秒まで取って下さる。
先輩方がご飯に連れて下さる。
これから同期になるこうまのバルクがでか過ぎる。
総じて言うと、入部するのが楽しみになりました。
2020年4月1日、待望の入部の日。
しかし4月3日、コロナの蔓延により部停。
緊急事態宣言が発令されている間は全く泳ぐことができず、1か月も泳げなかったのは生まれて初めてでした。
1か月ぶりに泳いだ時の、あんかけの中でもがいているような感覚は今でも忘れません。
泳げなさ過ぎて笑けてきました。
受験期に水泳を止めて、再び水泳を始める人には本当に頭が下がります。
水泳部の活動が再開できたのは6月の末でした。
再開できたといっても、時間を分けて少人数での活動。
結局、当時の4回生が引退されるまでに全員揃っての練習は一度も実現しませんでした。
それでも、僕は部活で練習できることが楽しかったです。
1回生は早くプールに来て鍵を開けたり準備をしたり。
みんなの前で体操の音頭を取ったり。
言わば雑用ですが、雑用があるのも部活らしくて好きでした。
下級生が雑用をすることには大きな意味があると思います。
雑用自体の難易度は高くないので、入学したての右も左も分からない下級生でも教わった通りにやればできます。
雑用は誰かがしなければみんなが困る仕事なので、雑用をこなすことで下級生でもチームの役に立つことができます。
お客様状態の新入生が入学していきなり役に立てるってこんな美味しい話はありません。
と思って僕は雑用に責任感を持ってやっていました。
話が逸れましたが、雑用も含めて初めて部活というものを実感できてワクワクしていました。
初めての試合では、主将から着るTシャツの指定がありました。
「Tシャツ揃えるだけでめっちゃチーム感出るやん。」
と感動したことを覚えています。
また、こうやってブログを書くことにも部活ならではの特別感を感じました。
どんな些細なことでも、「部活ってええなあ。」と思いながら充実した毎日を過ごしていました。
僕は水泳部が好きでしたが、部活の雰囲気は良いと言える状況ではなかったと思います。
石水部長は部活にお見えになると、いつも厳しい言葉を仰いました。
「今のままでは駄目。」
「もっと頑張れるはず。」
「強くなるには指導者が必要。」
しかし、この時期が今思えば転換期でした。
1つ上の先輩方の働きかけで、班制度ができました。
班制度とは、部員全員が何らかの班に就いて部の運営に携わる制度です。
部員同士のコミュニケーションも増え、部の雰囲気も明るくなりました。
すると、心做しか練習も前向きな雰囲気になった気がします。
元々好きだった部活がもっと楽しくなりました。
一方で、泳ぎの調子は一向に良くなりませんでした。
一番の原因は寝不足です。
課題に追われて徹夜していたからです。
僕は負けず嫌いなので、一度勉強も頑張ろうと思ったら、取らなくていい授業まで詰め詰めで取っていました。
教職も脱落することなく最後まで取り続けました。
(大学では勉強も両立させて頑張ろうと思っていたのですが、その理由は、割愛した高校までの過ごし方にあります。聞きたい人は僕から直接聞き出して下さい。)
プチ自慢ですが、今まで197単位フル単です。
誰かに分けたいくらいです。
練習が終わるのは夜の9時過ぎで、家に帰るのは11時前。
1時間目に間に合うためには6時台には起きないといけないので、基本的に毎日寝不足が続いていました。
ストレスで、1回生の終わりには体重が高校の時より5kg以上落ちてしまいました。
元々ガリガリなのに、そこから5kgも痩せるとカリカリでした。
誰が芋けんぴやねん。
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2回生の頃には遅すぎてロングをクビになったこともありました。
遅い僕を見兼ねて声をかけて下さる先輩もいらっしゃいました。
心配して下さったそのお気持ちはとても嬉しかったです。
それと同時に、心配してもらえる経験って今まであまり無かったことに気がつきました。
口では何とでも言えますが、仲間の成功を心から喜んだり、仲間の不調を心から心配することって、相当な信頼関係が無いと成り立たないと思います。
大学までの僕は無理でした。
勿論、友達が良い結果を出した時には、おめでとう🎉という気持ちを持ちましたが、それを嫉妬や羨望が勝りました。
友達の結果が良くなかった時には、悔しさに同情しつつも、どこか安心する気持ちもありました。
大学まで水泳を続けている人の殆どは、一度は挫折を味わったことがあるでしょう。
それを乗り越えて、大学でも尚、しんどい水泳に打ち込むのは並々ならぬ覚悟を持ってのことです。
その覚悟を普段から見ているからこそ、心から仲間のことを応援できるのだと思います。
また一つ、水泳部のことが好きになりました。
夏には2回生にして初めての関カレを経験しました。
チームの得点を意識した試合は初めてでした。
関カレを経験して感じたことは、立命館が一部に残留することは意外と近い目標かも知れないということです。
関西一部というと、夢のまた夢のような存在だと勝手に思っていました。
"6位との差は9点"
大きいようで僕には小さく感じました。
2年後、つまり僕が4回生の時に必ず一部残留を達成したい。
今まで自分の結果ばかりにこだわっていた僕が、チームとしての目標を達成したいと強く思うようになったのはこれが初めてでした。
また、4回生が関カレを以て引退されました。
本来、大学生の引退はインカレのはずなのに。
あと1ヶ月、4回生と練習できたはずなのに。
関カレで代替わりということがとても悔しかったです。
一番悔しかったのは4回生の方々だったと思います。
ここでもコロナに振り回されました。
水泳は残酷なことに、タイムで全てが決まります。
0.01秒でも切れなければインカレには出られません。
同期でインカレに出られるのは誰か。
僕以外は間違いなく出られる実力を持っています。
後は試合でそれが出せるかどうか。
インカレに出られる実力が無いのは僕だけ。
言い換えれば、僕がインカレを切れば僕らの代はインカレで代替わりをすることができます。
これまで固執してきた全国大会出場は、自分一人の問題ではなく、チームの代替わりに関わる、僕に課せられた使命だと思いました。
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大学水泳の半分まで振り返ったところで、火曜日のメニューを載せます。
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2回生の途中から寝不足の毎日にも慣れてきました。
体重も殆ど高校の頃に戻りました。
夏休みのオフが明けて、これから調子を上げていこうと思った矢先、不運が訪れます。
椎間板ヘルニアの再発です。
(実は高1の時にヘルニアを発症して泳げない期間が長くありました。)
泳げないのがどうしようもなく辛かったです。
めそめそしてはいられないので、前向きにできることをしようと考えました。
ピンチこそチャンス。
当時の気持ちはこのブログに少し書いてあります。↓
はるひろと一緒にTRYをやりました。
TRYとは星の子の名物メニューです。
長水でやるのは初めてで、短水とは比べ物にならないくらいしんどかったです。
オフ期間中は毎週水曜日にTRYをやるので、参加者募集しています。
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水泳のおかげで、言葉では表しきれないような経験をすることができました。
水泳のおかげで、大切な仲間にも出会えました。
水泳をやってきて本当に良かったです。
特に、大学水泳では仲間の支えのありがたさを度々感じました。
嬉しい時に一緒に喜んでくれる仲間がいたり、不調の時に心配してくれる仲間がいたり。
みんなありがとう。
きつい練習も頑張っているみんなの姿を見ているから頑張れる。
水泳は個人競技なので、レースは自分の実力で全てが決まります。
でも、レースに臨む過程では仲間の存在が必要不可欠です。
多くの人に支えられてここまでやって来られた水泳人生でしたが、大半は辛い思い出です。
辛い経験を乗り越えて最後に笑って終えることができれば尚良かったです。
ですが、辛い思いを経験できたこと自体は良かったと思っています。
徒然草の中に、「友とするにわろき者」というお話があります。
このお話には、友達になるには好ましくない人の特徴が7つ挙げられているのですが、その中にこんな特徴があります。
"病なく身強き人"
"病"というのは病気のことですが、僕は"病"の中に精神的な挫折も含まれると考えます。
"身の強さ"にも、肉体的な強さに加えて精神的な強さも含まれると考えます。
気持ちの弱さを持っているからこそ、他人の辛さ、悩み、苦しみ、心の痛みを共感することができます。
反対に、挫折を味わったことが無いような気持ちの強い人は、他人の辛さを理解することができません。
だから、吉田兼好は「友とするにわろき者」と考えたのです。
大学水泳は学生主体だからこそ、挫折はつきものです。
まだまだケツが青いですからね。
でも、挫折を乗り越えた先には達成感が得られます。
学生主体だからこそ、達成感もチームで独り占めできます。
そんな苦楽を共にした仲間は正に「友とするによき者」ですね。
社会に出る前に、信頼できる仲間と人生をかけて戦えるからこそ大学水泳は魅力的なのでしょう。
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ここからは、みんなに伝えたいことを書きます。
一人一人へのメッセージはきっと明日以降の誰かが書いてくれると思うので、僕からは全体へ。
みんなありがとう。
大学生活を立命館の水泳部で過ごせてとても楽しかったです。
嬉しいことも、辛いことも、楽しいことも、苦しいことも、色々な感情を立命館の水泳部のみんなと共有できた日々はかけがえのないものです。
中学から立命館を選んだことを後悔したことは何回もありましたが、最終的に立命館大学水泳部で水泳を終えられることを誇りに思います。
みんな大好きです。
そんなみんなに3点、伝えたいことがあります。
1つ目、
"一日一日を大切に"
みんなもある程度歳がいってきたので、月日の体感速度が単調増加していることに気づいていると思います。
残された日は少ないという事実を分かりにくい例え話で書いたブログがあるので、良かったら読んでみてください。↓