松永の街並み【前編】 | みちくさ道中

松永の街並み【前編】

本日2本目の記事~ビックリマーク

今月中旬、旧山陽道歩きと併せて、広島県福山市にある松永の町を訪ねた。

松永の町は、江戸初期~昭和中期に製塩業、明治期~昭和期まで下駄の製造業で栄えた町。
現在、JR松永駅(山陽本線)の南側に位置する松永の町には製塩当時に作られた水路が今も残されている。

松永の町並みの存在を知ったのは、旧山陽道歩きから。
JR松永駅の北側を東西に通る旧山陽道は、ちょうど駅の北側辺りに『今津宿』という宿場があった。
そこを歩いている時に、ひとつ疑問が。

「今津は宿場という交通の要衝であったのに、駅名はなぜ今津駅ではなく松永駅になったのだろう?」

松永という地域を調べてみると、製塩業と下駄製造業が一大産業だった過去があり、下駄製造業においては国内シェアの5割以上を誇ったという。
駅名に松永の名前が使用されたのは、陸路より海路の方が盛んであった山陽地方においては、陸にある今津宿の名前より、製塩及び下駄生産で栄えた松永の名前の方が有名だった、ということだろうか。
(東海道五十三次は、現在のJR東海道本線上に宿場名と同じ駅名が多いのだ)

それはさておき、軽くネットで『松永』を調べてみると、古い町並みを訪ねるサイトに幾つも松永の趣ある町並み写真が載せられている。

「なんだかいい感じの町並み!ここは、行こう!」

すでにJR松永駅より先のJR本郷駅付近まで歩いて行ってしまっていたが、時間をとって電車で逆戻り。

JR松永駅に着いたら、そこから歩いて南へ1kmほど。
松永五丁目にやってきた。

みちくさ道中-松永の街並み みちくさ道中-松永の街並み
羽原川沿いにたたずむ家々が、松永の町並みの特徴だ。

近代に入ってからは外国から安価な塩が輸入されるようになり、昭和期に製塩業は歴史に幕を下ろした。
そして国内シェア5割以上を誇った下駄の製造も時代の流れで今ではなくなり、下駄を卸売している店舗がわずかに残るのみ。
それでも、割と最近まで下駄製造は繁栄していたので、川の上に軒を伸ばす家並みが多く見られる。
下駄に使用する木材は、製塩で海水を引き込むための水路を使い搬入していた。

みちくさ道中-松永の街並み みちくさ道中-松永の街並み

松永が下駄製造業を始めたのは「下駄は杉か桐」と言われていた時代。
しかし、ここ松永では製塩作業に利用されていたこの地域のアブラギを使用した。
アブラギは雑木……というか、杉や桐と比較すると安価な木材で、製塩業に於いては、海水を煮詰める時の薪に使用していた。
既成の概念を打ち破り、新たな素材を使用した事がきっかけとなり、下駄の需要がいっきに飛躍した。
その後も、トドマツやドロヤナギ、アカマツ、ベイマツなど安価な材木を積極的に取り入れて行き、

「下駄と言ったら松永」

と言われるまでに、松永の一大産業として成長していった。