だい~ぶ前、年明けたので去年の話(笑)



たぶん20年ほど前に、電話で悪態ついて以来、会うことも連絡をとることも無くなった祖母に会ってきましたニコニコ




両親が離婚した時、私は5歳、妹は3歳でした。



当時うちは自営業だった&父の祖母の介護に母は忙しく、父の母(母から見れば姑,私から見れば祖母)が私の子守り担当になっていたそうです。



ゆっくり授乳もさせてもらえなかったと言ってたなぁ~



『女中のように扱われとった』と、よく母が言ってたっけ。



幼かった私は、相手をしてくれる祖母に素直になついていたし、母は私(の心)を祖母にとられる思いだったようですf^_^;)



確かにお婆ちゃんっ子だったけど、やっぱりお母さんが一番なんだよねドキドキ



だけど、妹も生まれたし家のことや仕事の手伝いなどでお母さん忙しくて、、、、


本当はお母さんにもっと遊んでほしかった、、、セラピーで、そんなリトルに会ったこともありました。



子供は何が何でもお母さんが一番大好きなんよね~恋の矢恋の矢恋の矢




だけど母には、それが伝わらず、私を奪う祖母が許せなかった。



祖母は祖母で、初孫の私を溺愛していたし、もともと父と母の結婚を不愉快に思っていたらしいから母を邪険にも扱っていたんだろうなぁ。



そんな2人に挟まれて、小さな私は困惑し悲しんでいたんだなぁ~しょぼん



お婆ちゃんが大好きだったから、両親が離婚した後も、祖母とは時々手紙のやりとりをしていました。



あっ、ある時、祖母から即席のラーメンが一箱送られてきた時『こんな体に悪い物を一箱も送ってきてむかっ』って、母が激怒したよな~




うちで即席ラーメンを食べることもあったのだけど、今なら理解できる事情が色々あったんだよね。




離婚原因は、父の度重なる浮気だったらしんだけど、ある日、浮気相手を家に連れ込んだのが決定付けたらしい❗️



仕事のパートナーだったらしいけど、堂々とやりすぎだ、父よ f^_^;)



小さかった私も、その浮気相手に挨拶した覚えがあるし、手土産に大きなウサギのぬいぐるみを貰った事も、妙な空気感も記憶にある。



自営業のくせに、真面目にコツコツ働くことも、父はあまりしなかったらしい。



離婚後、そんな父からの養育費が振り込まれることは無かったし父側の親族から誠意も感じなかったため、今までの代償が即席ラーメンのように感じられ、母は激怒したんだろう。



祖母はたぶん、部活などで放課後にお腹が空くだろう私を思って、自分で簡単に作れる即席ラーメンをと、送ってきたんだろうけど、母からすれば、今までの色々をラーメンなんかで帳消しにしろって言うのかって感じだったんだろうなぁ。




今の私なら、母の気持ちよく分かる目




だけど当時の私は、大好きなお婆ちゃんが悪者には思えなくて、ビックリしたかな。



それから、私も成長するにしたがって、お婆ちゃんにも否があったんだって事が分かってきた。



ある時、電話でお婆ちゃんが母を悪く言うので、私は当時の母の立場をかばった。



そしたら更に私の事も否定してきた。



祖母の大人気無い態度がショックだったな~お婆ちゃん大好きだったからねダウンダウンダウン



離婚してからずっと会ってなかった父に会ってみたくて、母と一緒に会いに行ったときにも、祖母は断固拒否して会わせてくれなかった。



母曰く、父の再婚相手には自分の老後を看てもらわなくてはならない。



前の嫁や子供が会いに来るなんて、再婚相手の機嫌を損なうような事はしたくないんだろうって。



それが本当だったかどうかは分からないけど、私は母の意見に同調し、それから祖母との連絡も途絶えました。


それが高校一年生の出来事。



それから私も大人になり、結婚し、子供が生まれ、育児に悩み、セラピーを受け、祖母に電話での悪態を謝りたい気持ちになりました。




25年ぶりに、父と再会して、お互いに畑をしていたので共通の話題もあり、時々連絡を取り合うようになっていたので、祖母に会わせて欲しいとお願いしてみました。




80歳手前の祖母は、肝癌の末期(本人には話してないが勘付いている)で入院していましたが、すこぶる元気な様子で、これから退院して新薬を試すと言っていました。



少しボケ始めていると父から聞いていたものの、すぐに私だと分かってくれました。



記憶にあるお婆ちゃんの顔は、シワシワになってだいぶ変わっていたけど、冗談も通じるし、ボケてなんかない感じで、電話でのことも覚えていたようです。



長い年月を経て、色々な経験をして、お婆ちゃんに『ごめんね』が言えて良かった。



祖母は『子供が言う事じゃ思って、気にしとらんよ』と言ってました。



『子供が言う事』に、ちょっとムッときたけどねf^_^;)



その子供が、どんな思いだったか、全く分かってないだろうって思ったけど、セラピーで癒せていたから、そこはもう怒りとして祖母にぶつける気にならずに済みましたチョキ





祖母は、当時では少数派の離婚経験者で、時代はそんな祖母に冷たい目を向けていただろうと想像することが出来るし、そのせいか、会話の端々で、自分の血筋や自分自身の活躍ぶりを必死でアピールしているのが見て取れました。



戦時中を生き抜いてきた世代でもあるしなぁ~



可哀想にも感じながら、あっという間の2時間を過ごした後、2人で写真を撮り『またね~』と言って部屋を出ました。



お婆ちゃんは姿が見えなくなるまで、見送っていました。




そうそう、祖母は父の妹にあたる長女を一歳で亡くしているのだけど、それを祖母の口から聞いていて、思ったんだな❗️




幼かった私は、一歳で亡くなった自分の娘
と重なって見えていたから、母から奪うように溺愛していたんじゃないかってひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球



そうだとしたら、そりゃ母も私を奪われまいと必死になるわなぁ~




そんな再会&謝罪でございましたニコニコ



癒されてくると『ごめんね』が言えるようになりますね恋の矢



次回は、旦那への『ごめんね』が言えた、これまた去年の話をブログにしたいと思います(笑)